第四百三夜 飴山 實の「懐手」の句

 句会では、「懐手」などの季題は最近では本来の形として見ることはなくなりつつある。前もって兼題が出たり、句会で席題が出て、慌てて歳時記や季寄せに、首っ引きで作るなどを重ねて、漸く覚えてゆく。
 「懐手」とは、寒いときに手をふところに入れていることで、和服でなくてはできない。手を、着物の袂に入れたり胸に入れたりして寒さを防ぎ暖をとるためだが、考え込んだときにする仕草でもある。
 現代ではポケットに手を突っ込んだ姿、あるいは腕組みなども「懐手」となろうか。
 
 今宵は、いくつかの作品から「懐手」の解釈をしてみよう。

ままごとのわらべのしたる懐手  飴山 實 『蝸牛 新季寄せ』
 (ままごとの わらべのしたる ふところで)

 今の時代も、庭に茣蓙を敷いて、ままごと遊びをしたりするのだろうか。小さな女の子はお母さん、男の子はお父さん、さらに小さな妹や弟は赤ん坊の役をしていた。
 そっと眺めていると、子どもたちはお母さん役やお父さん役に上手になりきっている。言葉遣いも、お父さんやお母さんをよく観察していることが伝わってくるから愉快だ。
 「あなた、今日あの子ったら、試験で0点だったのですよ。」
 と、お母さん役の女の子に言われたお父さん役の男の子は、「うーん・・」と考え込んで懐手をしている。【懐手・冬】

  水鳥やマントの中のふところ手  原 石鼎 『現代俳句歳時記』角川春樹編
 (みずとりや まんとのなかの ふところで)

 マントまたはインバネスといい、明治時代中期位から着ていた男性のコート。この「ふところ手」は、マントの下で腕組みをしているのであろう。
 原石鼎(はら・せきてい)は、昭和19年生まれ。池か沼か川で鴨などの水鳥のさまざまな動きを眺めながら、石鼎は、マントの中で腕組みをしている。ここは季題「ふところ手」もあるが、作品の季題は「水鳥」であろう。【水鳥・冬】

  右手は勇左手は仁や懐手  高浜虚子 『五百五十句』s13
 (めてはゆう ゆんではじんや ふところで) 

 句意は、わが右手は勇の象徴であり左手は仁の象徴である、いま静かに懐手をしているのですよ、となろうか。
 「右手(めて)」は、馬の手綱をとる右の手のこと。「左手(ゆんで)」は、弓をもつ左手のことである。懐手をしていた虚子は、勿論、昭和13年という日中戦争から世界大戦へ入っていこうとする世情も感じていた。どのような時も「勇」と「仁」の心を持って生きることを考えていた。
 「右手は勇左手は仁」の、勇と仁の順番は、虚子の唱導する花鳥諷詠の大事な1つ「諷詠」即ち調べのよさに依ったものであった。
 虚子は、日比谷公園で尋問をうけたというエピソードがある。
 「ここで、何をしているのですか?」と。
 「俳句を作ることが私の仕事です。」と、虚子。
 如何なる時代であれ、花鳥諷詠詩を詠むこと指導することに対して、虚子は揺らぐことはなかった。
 昭和13年11月28日、玉藻句会、丸ビル集会室での作。「懐手」は兼題であろう。【懐手・冬】

  懐手して万象に耳目かな  松本たかし 『新歳時記』平井照敏編
 (ふところでして ばんしょうに じもくかな)

 句意は、懐手をしながら、天地宇宙にいたる全ての事物に耳を澄ませ、目をかっと見開いているのですよ、となろうか。
 師の虚子の教えの通り、「じっと見る、じっと考える」を実行してきた松本たかしである。病気がちであったたかしは、能役者の修行を途中で辞めて、虚子の弟子となった人。とことん修行することは既に身についていた。【懐手・冬】