第四百四夜 高浜虚子の「冬木」の句

 ここ数日の寒さで、銀杏並木の黄葉もすべて散り終えて、冬晴れの青天に万朶をすっくと見せて、冬木街道になっている。
 冬木で好きなのは、幹も枝ぶりも立派な欅。練馬区に住んでいた頃、車で10分ほどの近さの光が丘公園には桜の木も多いが欅も見事な大木があった。樹木の好きな父は、私と一緒によく近くの林を散歩した。俳句を始めてからは、石神井公園や光が丘公園、遠出になるが、小金井公園や深大寺植物園へ行った。今でも、父の教えてくれた樹木の花や幹の違いは覚えている。
 
 光が丘公園には光が丘ショッピングセンターがあり、そこのカルチャーセンターの深見俳句教室で、私の俳句は始まった。虚子の俳句を教わった中でことに印象的だった句が〈大空に伸び傾ける冬木かな〉と〈去年今年貫く棒の如きもの〉であった。

 今宵は、参加した虚子研究『五百句』輪講で、私が担当した次の作品を紹介させていただく。

  白雲と冬木と終にかかはらず  『五百句』
 (はくうんと ふゆきとつひに かかわらず)

 昭和8年の12月15日、本田あふひ邸で行われた「家庭俳句会」での作品である。
 句意は、寒林の木々に雲が流れてゆくのを見ていると、もしかしたら雲が1つくらいは木に引っかかるのではないかと思っていたが、流れては消える雲が木に引っかかることはありませんでしたよ、となるだろうか。

 だが、当日参加した松本たかしの作品にも、〈枯木中居りたる雲のなくなりし〉とあったのだ。
 虚子は、その後の「ホトトギス」の「雑詠句評会」の中で、「同じところを写生していて(略)枯木の中にある一点の白雲に気の留まる者はあるまいとひそかに思ってゐたが、たかし君も亦此の句を作つてをるので一寸驚いた」と、述べている。
 家庭俳句会は、あふひ邸の庭を散策しての嘱目句であったのだ。虚子が最初に見たときは冬木の中にあった白雲が、いつの間にかいなくなってしまった、という景である。

 句はありのままを叙したものであるが、表情のない能面が、じつは面を打つとき何十人もの面影を重ねるのと同じように、平明に叙された句には、きっと深い思いが潜んでいるに違いない。「かかはらず」の言葉にひっかかった私は、この句を考えているうちに、「冬木」が確として佇む虚子そのものに思えてきた。
 そうすると、「白雲」は何を指すのであろうか。
 
 もしかしたら、「ホトトギス」を離れ、虚子の元を離れた弟子たちを思ったのではないだろうか。虚子は、俳句に意味など込めませんよ、と仰ると思うが、次の出来事と結びつけて考えてみた。
 
 稲畑汀子編『ホトトギス雑詠句評会抄』の、昭和2年、高野素十の〈蟻地獄松風を聞くばかりなり〉の句評の最後に、虚子が素十と秋櫻子の句に触れて述べた後に、次の言葉があった。
 「素十くんの進む路(みち)も可なり、秋櫻子君の進む路も亦可なり。誓子君の進む路も亦可なり、青畝君の進む路も亦可なり、清三郎君の進む路も亦可なり、各々が違った方面を開拓して行くところを私は静(しずか)に見ているのである。」と。
 
 虚子は、昭和6年に「ホトトギス」を離れた水原秋櫻子の句も、やがて離れるであろう山口誓子の句も認めていたのだ。親元を離れてゆく子であることを承知していたのだ。
 「ホトトギス」で学び、一家として成してゆく作家へと育った一人一人が、「白雲」であることも読み方の1つではないだろうか。
 そう考えたとき、やっと「白雲」を「ハクウン」と読むことに納得した。