第四百五夜 山口青邨の「冬至」の句

 12月21日は今年の冬至である。太陽がいちばん北半球から遠ざかるときで、一年中で昼がもっとも短く、夜がもっとも長い日で、ちなみに今日の日の出は6時47分、日の入りは16時30分であった。
 朝からずっと冬晴れのよい天気であったので、夕食の支度の前に、「冬至」の日の入りと冬夕焼をどうしても見ておきたかった。

 午後4時過ぎに家を出て、おととい白鳥を見た菅生沼へ向かった。
 道中の真っ平らな畑地も、芒原も、万朶の幹だけになった欅の大木も、家々も、何もかも染め上げられていた。この時間になると、白鳥たちは、夜を過ごす菅生沼の上沼へと飛んでゆき1羽もいなかったが、黒々とした沼面と前方の林に日が赫々と落ちる瞬間を見ることができた。
  
 今宵は、「冬至」の作品を見てみよう。
  
  数幹の竹に冬至の日はきれい  山口青邨 『露團々』  
 (すうかんの たけにとうじの ひはきれい)

 冬至の朝日はうつくしい、夕日の景もうつくしい。「冬至の日」というのは、一日のいつでも「きれい=うつくしい」ということであろうか。寒さによって空気が引き締まっているから、何もかもが澄んで「きれい」に見えるにちがいない。
 句意は、庭に植えられた数幹の竹に冬至の日が差し込んでいる。秋の竹は「竹の春」と言われるように若竹がうつくしいが、冬も、日が当たれば尚うつくしい、ということだろうか。
 「きれい」と「うつくしい」とは、どう違うのか難しいが、青邨が使う「きれい」は、どこか心の純真さを感じる。

  玲瓏とわが町わたる冬至の日  深見けん二 『余光』
 (れいろうと わがまちわたる とうじのひ)

 「玲瓏」は、うつくしさもあるが、さらに金属や玉などの冴えた音の鳴り出すような感じが加わってくる。深見先生には珍しく具体的な「もの」を描写している作品ではなく、写生している中でまさに授かったと思われる「玲瓏」という措辞がメインの作品である。
 そして、冬至の空気感と玲瓏の冴えわたる空気感は、見事に響き合っている。

  喝食の面打ち終へし冬至かな  高浜虚子 『ホトトギス新歳時記』
 (かっしきの めんうちおえし とうじかな)

 「喝食(かっしき)」とは、禅寺で、諸僧に食事を知らせ、食事の種類や進め方を告げること。また、その役目の名や、その役目をした有髪の少年。また能面の1つ。額にイチョウの葉形の前髪がかかれ、両頬にえくぼがある半僧半俗の少年の面をいう。「自然居士」「花月」などの曲で喝食の面をつける。

 句意は、「喝食」という少年の面をようやく打ち終えました。気がつけばなりました、もう12月も半ばを過ぎた冬至です、となろうか。

 虚子は、幼い頃から父の謡を聞き、松山の能舞台に出る父の舞台を観て育った。虚子の中兄の池内信嘉は能楽研究家。大正時代に虚子は有志とともに自前の鎌倉能楽堂を作り、舞台に立ち、句会の前に皆で謡をするなど能楽が好きであった。能楽堂で観ることは無論、能面師の制作する場に行くこともあったと思う。