第四百七夜 小5 矢野久美子の「白い息」の句

 昔、冬は本当に寒かった。小学生時代を思い出すと、いつだって白い息を吐きながら外で遊んでいた。
 今年は、コロナがまた勢いを増しているからか、外でマスクを付けていない人に出合ったことはない。夜の犬の散歩で、草を食べたり、時折吠えたりする犬の「白息」を見るくらいだ。
 冬の季語を眺めていて、懐かしいような気持ちで「白息」の俳句を探した。
 
 今宵は、子ども俳句を含めて、いくつかの作品を紹介してみよう。

  白い息出しバスケット勝っている  小5 矢野久美子
 (しろいいきだし バスケット かっている)『名句もかなわない 子ども俳句170選』
 
 句意は、小学校の体育の時間、今日からしばらくは校庭でのバスケットボールの授業がつづく。みんな白い息を吐き出しながら走っている。自分たちのチームが勝っていますよ、となろうか。
 「ほーら、ボールを回すよ。」「ちゃんと、入れてね。」「オーッ、シュートだ。」「あと1本で、僕たち、勝ちだね。」
 こうした言葉の1つ1つが、白い息と一緒に出てくるから、見ているとマンガの吹き出しのようだ。

  話してる文字が出そうな白い息  小6 斎藤安寿 『小学生の俳句歳時記』
 (はなしてる もじがでそうな しろいいき)

 この作品は、きっと朝の登校途中で、いつもの曲り角で会う仲良し同士。
 句意は、たとえば「お」「は」「よ」「う」と言うと、白い息と一緒に言葉が出てくるから、まるで文字が出てくるみたいだなあ、ということだろうか。
 「文字が出そうな白い息」は、じつに愉快な発想だが、やはりマンガ世代の子どもたちだ。

  白き息はきつゝこちら振返る  中村草田男 『長子』
 (しろいいき はきつつこちら ふりかえる)

 句意は、急ぎ足で追い越して行った女性は、草田男に気づいたのだろう、白い息を吐きながら、こちらを振り返りましたよ、となろうか。
 中村草田男は、すでにホトトギスの高浜虚子の下で俳句を始めていたが、この句は昭和6年の作品という。東大に入学したのは29歳だから、草田男が構内ですれ違い、振り返ったのは同じ大学の女学生かもしれない。
 「白き息」を吐きつつ草田男を振り返った動作には、どこか未婚の乙女の清純さが感じられる。そして「こちら」とは、作者の草田男であるが、自分を「こちら」という言い方もまた、振り返ってくれたことに照れている若者の羞恥心を感じた。
 草田男は難解な作品ばかり詠んでいるように思っていたが、初期には、このような作品もあったことに驚いた。

  汽車ごつこの汽罐車もつとも息白し  北 山河 『新歳時記』平井照敏編
 (きしゃごっこの きかんしゃもっとも いきしろし)

 作者の北山河(きた・さんが)は、明治26年(1893)- 昭和33年(1958年)、京都の生まれ。極刑者に俳句を教えていた。後に俳誌「大樹」の主幹となり、山河と号した。山河に指導を受けた死刑囚は68名という。
 
 「汽車ごつこの汽罐車」とは、もしかしたら獄中での運動の1つかもしれないと思った。受刑者たちが運動場に出て、汽罐車になる人、車両となる人たちと、役割があった。
 句意は、汽車ごっこの汽罐車になる人は一番前で、車両となる皆を引っ張っていかなくてはならない。その汽罐車役の人の息の白さが、豊かで一番白かったですよ、ということだろうか。
 
 作品は、かなりの字余りである。しかし字余りの冗長さを感じさせないのは、「ごっこ」「もっとも」など詰まった語が含まれているからである。リズムのよさは、俳句では最も重要な要素である。

 ※子ども俳句の出典は、金子兜太監修、あらきみほ編著