第四百八夜 景山荀吉の「クリスマス」の句

 子育ての中でいちばん楽しい時期がクリスマス。なにしろ、12月の初めから、サンタさんの話を聞かせていたわが家では、24日の晩にサンタさんが本当にやってくるのか、いい子の家にはプレゼントを持って来るっていうけれど、ボクはいい子だったかな、と、わんぱくな弟の男の子は心配で仕方がない。
 小学校の高学年になっていた姉は、しばらく経ってから、こんなことを言った。
 「ねえ、ママ。わたしね、サンタさんが誰だかわかっちゃった!」
 母の私は、二人の子どもに「お利口さんにしていると、サンタさんがプレゼントを持ってやってきますよ。」と、カードを書いていた。その文字と、内容の言い方がいつもの口調だったようでわかってしまったらしい。
 
 今宵は、クリスマスの作品を紹介してみよう。

  神父老い信者われ老いクリスマス  景山荀吉 『現代俳句歳時記』角川春樹編
 (しんぷおい しんじゃわれおい くりすます)

 景山筍吉(かげやま・じゅんきち)は、明治32年、京都府生まれ。富安風生などの誘いで東大俳句会に参加し、高浜虚子の指導を受けた。「ホトトギス」同人。俳誌「草紅葉」を創刊主宰。敬虔なカトリック信者であった。
 私は、プロテスタント系の学校にいたので、カトリックのクリスマスはどう違うのかよくは知らないが、神父様がいて、十字架のロザリオを手に祈るようである。
 句意は、この教会に長く通い、毎年のようにクリスマス礼拝にも参加している間に、神父様も歳をとり、信者である私もこのように老いてきましたよ、ということになろうか。
 「神父老い信者われ老い」の措辞からは、互いに祈りと年輪を重ねたことによる深い信頼関係が見えるようである。【クリスマス・冬】

  降誕祭睫毛は母の胸こする  中村草田男 『銀河依然』
 (こうたんさい まつげはははの むねこする)

 中村草田男の妻直子はクリスチャンであったが、草田男がクリスチャンとして洗礼を受けたのは死の前日であったという。直子はクリスマスの礼拝にも出席したであろうし、クリスマスツリーも飾っての聖夜であったと思われる。プレゼントもケーキも好きだけど、早くも眠くなった子どもは母の胸に抱かれて、顔をこすりつけている。
 「睫毛は母の胸こする」は、眠る寸前のねむくてたまらないときの子のしぐさである。眠いとき子は目をこするが、睫毛の長い子なのだろうか、とても印象的な表現だ。【降誕祭・冬】
 
  ヴェール着てすぐに天使や聖夜劇  津田清子『現代俳句歳時記』角川春樹編 
 (べーるきて すぐにてんしや せいやげき)

 幼稚園のクリスマスを思い出す。
 句意は、白いヴェールを頭からかぶって金の輪を置けば、あっという間に天使になり、聖夜劇は始まりますよ、となろうか。
 イエスの降誕は「マタイによる福音書」と「ルカによる福音書」に書かれている。当時、住民登録のために、元住んでいたベツレヘムにヨセフとともにマリアが戻る途中、馬小屋の飼い葉桶の中で、処女のマリアはイエスを産んだ。「マタイ伝」では、東方の三博士が星に導かれてイエスを礼拝しに来る。「ルカ伝」では、そこへ天使が降りてきて祝福する。
 この聖夜劇では、天使たちが現れる。
 「ヴェール着てすぐに天使や」の表現が、幼稚園の舞台らしい簡便さが感じられる。【聖夜劇・冬】