第四百九夜 山口青邨の「アドヴェント(待降節)」の句

 今日はクリスマス。いつもよりずっと早く目覚めた男の子は、ベッドの柱にぶら下げておいた袋をのぞいた。ぺちゃんこだ。
 「ママーっ! ボクんとこにプレゼントが来なかったよ。」
 「そんな筈はないわ。よーく、探してごらんなさい。」
 子供部屋をくまなく探したが見つからなかった。
 「やっぱり、ボク、いい子でなかったからサンタさん来なかったんだね。」と、しょんぼりした顔で、だが妙に納得した顔でぽつんと言った。
 「家中を探さくちゃ。サンタさんだって、置き場所をまちがえたのかもしれないわ。」
 やがて、階下の仏壇の脇からプレゼントを見つけた男の子は、涙の跡をのこしたまま笑顔で報告にきた。
 「サンタさんにお願いしていたとおり、ガンダムを持ってきてくれたよ。」
 そう、お父さんの仕業であった。
 
 今宵は、昨夜につづけてクリスマスの句を紹介しよう。

  アドヴェント・クランツ灯す友来ずや  山口青邨 『雪國』
 (あどゔぇんと くらんつともす ともこずや) 

 「アドヴェント」はドイツ語で待降節。「クランツ」は4本のローソクを立てるリースのこと。
 細かな宗派の違いはわからないが、クリスマスの歴史は西暦354年には始まったとされる。日本にキリスト教が入ってきたのは、江戸時代の禁教令の最中であったという。案外に早い時代に一部ではあるが、クリスマスの行事を知っている日本人はいたのだ。
 一般の家庭でクリスマスが楽しみな行事となったのは戦後であろう。
 山口青邨は、昭和12年、13年とドイツへ留学した。前年には高野素十もドイツへ留学しているが、青邨のようにはクリスマスの句を詠んでいないと思う。
 
 句意は、アドヴェント・クランツ(待降節のローソク)を灯して、約束していた友を待っていたが、とうとう来ませんでしたよ、となろうか。
 郷に入れば郷に従う、青邨は、知らなかったこと新しいことを積極的に取り入れてみる気質なのだろう。〈ワイナハト近し第三の燭ともす〉もある。いよいよ第4週目は4本のローソクを灯す日で、〈降誕祭(ワイナハト)待つ燭こよひともすなり〉も詠んでいる。

  胡桃など割つてひとりゐクリスマス  山口青邨 『雪國』
 (くるみなど わってひとりの くりすます)

 句意は、いよいよワイナハト(降誕祭)、クリスマスになった。ローソクを灯して友を待っていたが来ないので、ひとりで胡桃を割って過ごしましたよ、となろう。
 昭和12年のドイツでのクリスマスには、9句も俳句にしている。
 
 次は、日本のクリスマスを角川春樹編『現代俳句歳時記』から紹介しよう。

  1・へろへろとワンタンすするクリスマス  秋元不死男
  2・聖果切るゆたかに底に刃が遠し  橋本美代子
  (せいかきる ゆたかにそこに はがとおし) 

 1句目、クリスマスの句と言えば、どの歳時記にも例句として出ている作品だが、やはり挙げておきたい。秋元不死男は、戦前の新興俳句時代には東京三(ひがし・きょうぞう)の俳号であった。昭和13年の新興俳句弾圧事件で検挙された。戦後は山口誓子の「天狼」の創刊に参加、翌年には「氷海」を創刊した。
 戦後のクリスマス、多くがまだ貧乏な時代であった頃のクリスマス。不死男は、クリスマスで騒いでいる人たちを横目に、屋台でワンタンを食べていた。この作品の良さは、句の調べの良さであろう。この調べから、時代も、その人の生き様までも見えてくるようである。
 2句目は、橋本美代子さんは橋本多佳子の娘で、現在は、多佳子の創刊した「七曜」の後継者である。
 句意は、クリスマスパーティーの聖菓を切っているところだが、あまり大きいので、底までなかなかナイフの刃が届かないのですよ、となろうか。作品からは、ゆたかな豪華なクリスマスの光景が見えてくる。

 今年は、コロナ禍の真っ最中。世界中で、どの家庭でも子も大人も待っていたクリスマスを、工夫しながら楽しんだことだろう。