第四百十夜 高浜虚子の「風花」の句

 風花を見たことがあるような気がしている。俳句を始めるずっと前の大学時代に友人たちと行った霧ヶ峰のスキー場で出合った雪片は風花であったかもしれない。
 ひらひら飛んできた雪片を手に受けたとき六角形で、のちに、「六の花(むつのはな)」という素敵な呼び名があることを知った。
 『季寄新題集』に「青空ながら雪のちらつくことなり」とあるが、抜けるような青空にとけいるようで、まことに美しい。尾根を越えてくる風にともなわれて降ることもあり、また一塊の雪雲からもたらされることもある。
 
 今宵は、高浜虚子の「風花」の句を見てみよう。

 1・日ねもすの風花淋しからざるや  『五百五十句』『武蔵野探勝』
 (ひねもすの かざはなさびし からざるや)

 この作品は、昭和5年8月より始まった「武蔵野探勝」という句会は、武蔵野の名残を求めての吟行句会で、昭和14年1月まで続いた。掲句は、武蔵野ではなく新潟へ足を伸ばした昭和13年1月3日、4日の一泊旅行での句である。
 
 句意は、一日中舞っている風花よ、淋しいからずっと舞いつづけているのではないのか、となろうか。
 
 上越線の列車から遠くの眺めは雪景色であったが、近くでは雪が降ってはいなくて風花が舞っているくらいであった。新潟駅には大勢の迎えがあり車の迎えもあったが、虚子たちは、荷物だけ車に乗せて、宿まで風花の舞う万代橋を歩いた。
 宿では夕食が済むと早速に句会が始まった。この日の句会の記事の担当は、新潟に住む中田みづほであった。
 列車の中から風花を見、万代橋を歩いて宿までの夕間暮の風花はさぞ美しかったであろう。風花をずっと見ていた虚子は、「淋しからざるや」すなわち「淋しくないのだろうか」と、風花に問いかけた。
  
  2・風花はすべてのものを図案化す  『六百五十句』
 (かざはなは すべてのものを ずあんかす)

 この作品は、第二次大戦の最中、虚子が疎開していた長野県小諸で詠んだ句である。
 星野立子編『虚子一日一句』の2月16日は「風花はすべてのものを図案化」である。立子は次のような解説をしている。
 「手のひらを返したやうな形容で写生することも上手だつた。信州の人々は句会の度が重なるにつれて、何となく主観の強い句を作る者が多くなつて来るやうに私には思へた。さうなれば父も亦それに対して負けなかつた。」と。
 
 句意は、次のようになるであろうか。
 風花とは晴天に舞い降りてくる雪片のことで、図案とは装飾的に描かれた模様や絵のこと。風花が舞い始めると、その風景は途端に美しい紗のヴェールに覆われたようになる。同時に観る側の心にも変化が起きる。そのような、心象を図案化する力が風花にはあると虚子は掲句で言い切った。

 3・風花の今日をかなしと思ひけり  『六百五十句』 
 (かざはなの きょうをかなしと おもいけり)

 ポール・ギャリコの小説『雪のひとひら』を思った。ある日、空から舞い降りた雪のひとひらの長い旅のストーリーは女の一生のようである。雪は仲間と一緒に空から降りるが、「ひとひら」として生きる。風花は、風に吹かれてちらつく雪で、もともと一人ぼっちのような降り方である。
 なぜ、この小説を思いだしたかと言うと、虚子は、風花を1句目を「淋し」と、3句目を「かなし」という存在として詠んでいると感じたからだ。
 掲句を、風花の吹いている今日を、なぜか悲しく思っていると捉えているからだ。