第三十三夜 久保田万太郎の「竹馬」の句

  竹馬やいろはにほへとちりぢりに  久保田万太郎

 「竹馬遊びをしていた子どもたちが、夕暮れになって、いろはにほへとの文字がバラバラになってしまったかのように、それぞれの家に戻っていきましたよ。」
 
 句意は、このようであろうかと思っていた。江戸情緒の残る下町の遊びの一つの「竹馬」とは、二本の竹に足場となる横木を付けて乗り、歩行する遊具のことで、じつは乗りこなすのはとても難しい。
 この竹馬に乗って、戦争ごっこなどする遊ぶのかと思っていたがそうでもないようだ。横木の高さを変えてうまく歩けるか・・速く歩けるかを競ったようである。また日頃の目線よりぐんと高くなるから、歩いていても気分がいい。怖がって竹馬に乗れない仲間を睥睨することだってできる。こんなふうに闊歩仲間が「竹馬の友」なのだろう。

 小学生の頃、終戦の年に生まれた私たち女の子でも竹馬遊びに参加する子もいたが、用心深い私は、ついに乗ることもなかった。
 
 掲句は昭和十二(1937)年の作。この年は、七月に盧溝橋事件が起こり日中戦争の始まりとなった年である。平和を象徴するような子どもの竹馬遊びの作品の奥にも、万太郎は、複雑な状況下の心持ちを込めたのかもしれない。
 
 久保田万太郎(くぼたまんたろう)は、明治二十二(1889)年東京浅草の生まれ。俳人、小説家、劇作家。芥川龍之介は「久保田万太郎の発句は〈歎かひ〉の発句である」と言った。万太郎は、子を亡くし、妻と別れ、晩年に同棲した愛人の急死があったことから自身の作品を「家常生活に根ざした叙情的な即興詩」だとした。
 もう一句、晩年の代表句を紹介しよう。「いのちのはてのうすあかり」は、いつか筆者にも、きっと実感する時が訪れるのだろう。
 
  湯豆腐やいのちのはてのうすあかり