第三十四夜 野沢凡兆の「雪」の句

  ながながと川一筋や雪の原  野沢凡兆『猿蓑』
 
 鑑賞をしてみよう。
 一面の雪の原を、空の濃紺を映した一筋となって川が流れている。描写された言葉のままの作品で、技巧とか特別な意味を込めた作品ではない。だが、この作品には、読み手の我々が、一本の川の流れとともに雪の原を流れてゆくように感じてしまう不思議がある。
 こうしたアングルを客観描写で詠むことは、主観を入れて詠むことよりもはるかに力技が要ると思う。つまり客観描写の優れた作品というのは、読み手の方が、読んでいるうちに自由に羽ばたける作品ということになろうか。
 
 高浜虚子は、凡兆の作品を「私等はこの句から単純化され圧縮されたその景色の自ずからなる広がり、又単純化する強力な作者の心を感ずる。」と『虚子俳話』で述べている。
 近代俳句以降、「ホトトギス」の虚子は写生句の手本、叙景句の手本として絶賛している。

 現代ならばヘリコプターやドローンが高所から映し出すことのできる景を、江戸時代の凡兆は編み出したのである。
 
 野沢凡兆(のざわぼんちょう)は、江戸時代の1640~1644年頃に加賀金沢生まれた。医を業としたという。妻とともに松尾芭蕉の弟子となる。凡兆は、向井去来とともに芭蕉の『猿蓑』の編集作業に携わった。しかも『猿蓑』所収の数は芭蕉より一句多いという。
 もう一句、紹介しよう。「藻の花」は水底から茎を伸ばし、夏、水面に白色五弁の小花を咲かせる。
 
  渡りかけて藻の花のぞく流れかな  『猿蓑』