一昨日の12月24日から、フィギュアスケートの全日本選手権が行われている。男子が先に勝負は終わり、羽生結弦が、ショート1位を終えて昨夜のフリーでは、圧巻の演技をした。大ファンの結弦がジャンプを跳ぶときは、まともに観ていることができずに目を瞑ってしまうが、昨夜の滑り始めの、凄まじい表情を見てからは最後までしっかり観ることができた。
フリーは4分30秒もの長い時間をリンクの上ではたった1人。美しさと闘いと、孤独な勝負をしなくてはならない。
もう60年も昔、小学生高学年だった私が友だちの家で観たテレビは、アメリカの本当の湖で、一人で「白鳥の湖」の曲を踊るスケーターの姿であった。氷の上だから冬なのに、バレーの衣装と同じチュチュを纏って滑っていた。
何箇所からの撮影だろう、上空からの映像もあった。広い湖を滑ってゆくスケーターを追って撮影しているのはヘリコプターであった。
湖上でのフィギュアスケートはその時が初めてであった。それ以来は観たことがないので、あれは本当だったのか夢だったのかと思うことがある。
今宵は、スケートの作品を見てみよう。
スケートの左廻りや山囲む 松本たかし 『石塊』
(すけーとの ひだりまわりや やまかこむ)
句意は、スケートは誰もみな左回りに滑っていますね。湖はぐるりと山に囲まれていますよ、となろうか。
諏訪湖とか、北アルプスや南アルプスに囲まれ、冬には全面に氷が張る湖のスケート場であろう。スケート靴を履いて湖面に立てば、すぐに滑り始める。そう言えば、全員が「左廻り」である。調べてみると、陸上競技場と同じ左回りで滑走することが定められているという。
松本たかしは、身体が弱かったので能役者になる定めを諦めて、高浜虚子の下で俳人となった。昭和19年、たかしは名古屋から飯田への途中天竜渓谷を一人旅したことがあったが、おそらく、その折に見た湖の光景であろう。
冬晴れの中で、声を挙げながら楽しそうにスケートしている光景にであった。そうして眺めている間に、大人も子どもも、同じように左回りに滑っていることに気づいたのだ。
スケートの紐むすぶ間も逸りつつ 山口誓子 『凍港』
(すけーとの ひもむすぶまも はやりつつ)
山口誓子は、水原秋桜子、高野素十、阿波野青畝と合わせて「四S(しいエス)」と呼ばれる作家の1人。水原秋桜子は高浜虚子と「写生」の考え方の違いから、ホトトギスを去った。その頃から新興俳句運動の流れが生まれ、秋桜子や誓子は、1句では表現できない主題を、5句、10句と連作することで、内容の広がりを意図した表現形式に込めた。
秋桜子の連作は、窪田空穂や斎藤茂吉の連作短歌にヒントを得て、絵巻物のような構成の連作「筑波山縁起」を試み、設計図式とした。
誓子の連作はモンタージュ形式と言い、1句はみな季題ももつ独立した形式で、起承転結のように物語がある。
掲句は、誓子の第1句集『凍港』の巻末に置かれた「アサヒ・スケート・リンク」という連作の中の1句である。
句意は、スケート場に着くや、一刻も早く滑りたいから、少しでも早くスケートの靴紐を結びたいのだが、手が思うように動かないのですよ、となろうか。
スケートの靴紐は、足首まできっちり締め上げないと、足がふらついて滑ることができない。
スケートの濡れ刃携へ人妻よ 鷹羽狩行 『誕生』
(すけーとの ぬれはたずさえ ひとづまよ)
句意は、スケート場で滑り終えた後、その人妻は脱いでまだ刃の濡れたままのスケート靴を抱えて出てきましたよ、となろうか。
『誕生』は、鷹羽狩行氏の第1句集である。この句集には、愛妻や子の誕生が詠まれた作品が多い。「人妻」と詠んではいるが、もしかしたら新婚の頃の狩行氏の妻のようにも感じられる。
スケートの「濡れ刃」を携えた若い女人の、瑞々しくも繊細な姿がうまく表現されている。