八手の花は、初冬に咲く庭木の花として代表的なもの。葉は柄が長く、先が8つほどに裂けていることから「八手」と呼ばれ、掌のようにも天狗の団扇のようでもある。枝先に白い苞につつまれた円錐形の花序をつける。
『薬草カラー大図鑑』によれば、乾燥させた葉を煮出して、袋ごと浴槽に入れるとリウマチに効くという。葉はテングノハウチワと呼び、疫病流行のとき、これで追い払ったり、屋敷内に植えておくと、病魔・悪魔よけになるとの迷信が生まれたとも言われる。
そう言えば、東京の杉並区に住んでいたころ、南天や八手の花が庭の西北の日陰に植えられていた。祖母が身体に効く十薬などの薬草を干したり熱湯で煮出したりしていたことを覚えている。
今宵は、まず竹下しづの女の「八手の花」の作品を紹介しよう。
八ツ手散る楽譜の音符散るごとく 『カラー図説 日本大歳時記』講談社
(やつでちる がくふのおんぷ ちるごとく)
句意は、八手の、独特な白い球状の花は、散るときには白い粒がばらばらに落ちてゆくが、ちょうど音符のような形となって、散ってゆきましたよ、となろう。【八手の花・冬】
八手の花は、天狗の団扇の形をした大きな葉のてっぺんに咲くが、真っ白ではなく地味な色合いの簪(かんざし)をたくさん立てている形である。
その花の散る様を「楽譜の音符散るごとく」と、視覚的にも調べも明るく弾むように詠んでをり、季題を「八ツ手の花」とせず、「八ツ手散る」として散りゆく花の景としたところが、しづの女の上手さである。
大正2年、高浜虚子は長谷川かな女に最初に声をかけて女性俳句の道を作った。回覧・互選式の「婦人十句集」では題詠を10句ずつ投句し、互選をし、虚子選を経て、「ホトトギス」に発表された。そこに集い、誌上で羽ばたき始めたのが、長谷川かな女、阿部みどり女、杉田久女、竹下しづの女、本田あふひであった。第一次女性俳句の時代である。
しづの女の代表作は、何と言っても〈短夜や乳ぜり泣く児を須可捨焉乎(すてつちまをか)〉が有名である。
次に、山口青邨の「八手の花」の作品を紹介しよう。
1・幽明のさかひに白き花八つ手 『冬青空』
(ゆうめいの さかいにしろき はなやつで)
句意は、幽明(死の世界である幽界とこの世)の境に咲いているかのように白々と咲いている、八ツ手の花ですよ、となろうか。
2・白骨の八ツ手の花の白極む 『薔薇窓』
(はっこつの やつでのはなの しろきわむ)
句意は、白骨のように見える八ツ手の花の、これ以上はないというほどの白さでしたよ、となろうか。
3・八ツ手の花死者の簪虻舐めて 『寒竹風松』
(やつでのはな ししゃのかんざし あぶなめて)
句意は、八ツ手の花はまるで死者を飾っている簪のようですね。その簪の上を、虻が舐めていますよ、となろうか。
今宵の文頭に『薬草カラー大図鑑』で「八手(ヤツデ)」はリウマチに効く薬草であると紹介したが、もう一つ、貝原益軒の「大和本草」で「鰹の刺し身をヤツデの葉に盛りて食すれば死す、と俗に言う。」と書かれている。猛毒のある植物ではないとしても、昔は、あまり喜ばれなかった植物であったという。
『山口青邨季題別全句集』の、「八手の花」の作品は8句であったが、明と暗に分けるとすれば、死の世界、死者の白骨、死者の髪飾りの簪などの暗を詠んだ作品は6句あった。
吟行で訪れた小石川植物園の奥の暗い場所に咲く八手の花を、何度か見たが、白い花を美しいと感じることもできなくて、当時の私は作品にできなかった。今回、青邨の見方と読み方は参考になったように思う。