第四百十四夜 高浜虚子の「冬枯の庭」の句

 『虚子俳話』に「壺中の天地」という文章がある。終戦になった昭和20年、まだ小諸に疎開中であった虚子は、朝日新聞の俳壇の選者となった。隔週で、昭和30年からは評を加え、小俳話を合わせて載せるようになった。さらに、俳話のあとに、その執筆当時にできた3句を載せるようになった。
 昭和34年4月8日、虚子が亡くなるまで書きつづけた俳話は105章である。
 
 虚子はこれまで多くの文章を「ホトトギス」や「玉藻」に定期的に書いていた。そうした膨大な文章を3人の選者が纏めて、岩波文庫版で藤松遊子編『俳句への道』、今井千鶴子編『立子へ抄』、深見けん二編『俳壇』として書籍になったことは嬉しい。
 これらの書に加えて、短い文章で纏められた『虚子俳話』は、私の座右の書となっている。
 だが、読めば俳句が上手くなるわけではないところが、俳句の俳句たる所以であろうか。
 
  「壺中の天地」
   
  十七文字の天地。
  壺中の天地。
  三間四方の能舞台。
  茶席。
  禅堂。
  音楽堂。
  壺中の天地には大千世界を容れて尚ほ余りある。
  能舞台も、茶席も、禅堂も、画室も、音楽堂も、皆、人々にとつては融通無碍なる天地である。
  十七文字も宇宙の大を容れて尚ほ余りある。
  「五・七・五」といふ文字の響き、「や」「かな」の切れ味。
  太陽の運行、四季の変化、そのもろもろの現象。
  俳人の心は天地と共にをる。
  人間も亦た天地自然の一現象に過ぎない。
  壺中の天地は茫漠として広く、悠々としてとこしなへである。(『虚子俳話』)

 今宵は、虚子の「冬枯の庭」の作品を見てみよう。
  
  冬枯の庭を壺中の天地とも  高浜虚子 『七百五十句』
 (ふゆがれの にわをこちゅうの てんちとも)
 
 句意は、この冬枯となっている我が庭も、仏教における全宇宙を表す大千世界、すなわち仏の教化の及ぶ範囲である大千世界であり、それを「壺中の天地」と言うのですよ、となろうか。

 「壺中の天地」とは、中国後漢の費長房が、薬売りの老人が商売が終わると壺の中に入るのを見て一緒に入れてもらったところ、そこにはりっぱな建物があり、美酒や旨い肴が並んでいたので、ともに酒を飲んで外に出てきたという故事からの言葉で、俗世間から離れた別世界の譬えである。
 
 だが、虚子の文章を読むと、たった十七文字の俳句の世界が、冬枯の庭の、草花たちも、樹々も、芽が出て、花が咲き、新緑となり、やがて紅葉し、落葉となるように、四季の変化があり、人にも誕生があり死がある。まさに、悠々としてとこしなへである。
 俳句で、たった一片の花びらを詠んだとしても、果てない命のくり返しの一端を詠んでいることであるという。