第三十五夜 山口青邨の「冬木桜」の句

  見てあれば冬木桜の花咲くよ  山口青邨『日は永し』
  
 句意は次のようであろう。
「冬木桜を眺めていると、花が咲くような気がしますよ。」

 山口青邨(やまぐちせいそん)九十四歳、最後の第十三句集『日は永し』に掲載された桜の最後の句。荒々しいばかりのまっ黒な木肌を見せている桜大樹は、冬の抜けるような青空にシルエツトを見せている。これまでいくたびも見たさまざまの場所、さまざまの風情の「桜」が、青邨の脳裏に甦り、つぎつぎに花が咲きはじめたのだ。
 青邨の桜の句をもう少し見てみよう。
 
  花散るや紺紙金泥の鸚鵡経  『雪国』昭和十一年
  花屑にのりおたましゃくしはやさし  『不老』昭和四十一年

 一句目、中尊寺の国宝の一つが紺紙金銀字交書一切経である。深い紺色に染められた斐紙に書かれた金泥銀泥の文字は七宝荘厳の仏法にも適い、王朝時代の美意識が反映されたものである。
 青邨が見たのは一切経の中の鸚鵡経。黄金の国と言われた平泉、中尊寺の高い杉木立に散る花は、優雅さと絢爛さが備わっていなくてはならない。字面も華やかな「鸚鵡経」を得たことで美的世界を構築できた。青邨の強烈な美意識を感じさせる俳句作品の一つである。
 青邨は、漢字や仮名の配分、古今東西の美術や歴史、日本語の美しさ、漢詩の斡旋、色彩感覚、豊かな想像力など貪欲に技法を駆使して短い俳句に豪華典麗な世界を築いた。これは青邨俳句の特長である。

 二句目、花屑の上に偶然乗ってしまったお玉杓子、何と楽しい光景に会ったのだろう。平仮名表記にすると、文字がお玉杓子の一つ一つに見えてくるから不思議だ。

 山口青邨(やまぐちせいそん)は、虚子が「山口青邨君は科学者である。」と、第一句集『雑草園』の序で述べたように、明治二十五年に盛岡市に生まれ、東大教授となり、名誉教授の称号を受けた採鉱冶金学の学者である。ホトトギスで句作を始めたのは大正十一年の東大俳句会創立に参加して以降。虚子から客観写生を鍛えられ、四Sの秋桜子、素十、誓子、青畝、その後の草田男、たかし、茅舎等と切磋琢磨した時代が青邨にはあった。ひたすら真実と美を求めて観察(オブザベーション)を怠らないことは、複雑なものを単純化して一つの法則を作る科学者の方法と同じであった。

 第十一句集『繚亂』のあとがきに書いた青邨の「美」の言葉が私はことに好きである。
「散るといふ意味になり初めて私の求める美しさの素振が出てくる。(略)亂れ萩、亂れ髪なども亂れることによって人に妖艶の情を起させるのである。」