第四百二十夜 松本たかしの「能始」の句

 高浜虚子は父親譲りの能楽好きで、鎌倉に仲間と一緒の能楽堂を建てたほどである。
 虚子の愛弟子の深見けん二先生の「花鳥来」に入り、虚子俳句を鑑賞する機会を得た私は、能を知っておきたい、能舞台で観ておきたいと、集中して観に行った時代があった。始終行けるわけではないので、よい能役者の舞台、逃せない舞台を調べて出かけた。
 一番最初に観たのが、中尊寺の薪能であったことが幸いしたのかもしれない。金色堂の奥に野外の能楽堂はあった。周りは杉木立に囲まれていて、夕暮れには篝火が灯され、舞台が進むにつれて真っ暗闇となった。
 笛や小鼓、謡が始まると、シテが登場し、当時はまるっきりわからなかった詞章(科白)をゆっくり謡い出す。すぐに眠くなり、半分はうとうと夢の世界に入っていた。
 だが、こうしたすべてを含めて、何もかもに魅了された。

 今宵は、能役者松本長(まつもと・流し)を父にもつ、松本たかしの能の俳句を見てゆこう。

  白洲ある古き舞台の能始  『松本たかし句集』
 (しらすある ふるきぶたいの のうはじめ)

 句意は、白洲(白い小石を敷いた場所)が、橋掛り(舞台と鏡の間とをつなぐ能役者の通路)の下から能舞台の下まで敷きつめられた古い舞台での能始ですよ、となろうか。
 
 能始(のうはじめ)とは、一年の能楽の舞台始めのこと。国土安穏、五穀豊穣を祝う「翁」や、 祝意を寓した「高砂」を演ずることが慣例となっている。
 「翁」は、国立能楽堂で観た。席は正面がいい。チケットは取り難いし、チケット代は高いけれど、半分は勉強のためと考えているので観ておきたい。敷きつめられた白洲も間近で見える。【能始・新年】

  能始著たる面は弥勒打  『松本たかし句集』
 (のうはじめ きたるおもては みろくうち)

 能に興味をもつと、能面も知りたくなる。小学校時代の親友が、西武線の新井薬師にあった三井文庫で研究員をしていたことを思い出した。久しぶりで電話すると、小さいけど三井文庫別館は美術館だから、チケットを送るわね、と言うや、数日後には2枚の券が送られてきた。
 三井文庫は旧財閥三井家の収蔵品を、季節に合わせて展示してある。(現在、日本橋の三井井記念美術館で展示)
 いつも能面が展示してある。「花の小面」「孫次郎(おもかげ)」が一度に展示されることはないが、数年通う中で会うことができた。美しく不思議な表情であった。研究員にお訊きすると、一人だけでなく何人もの女人をモデルにしたそうである。「おもかげ」の由来である。
 
 冬の展示では、翁面が展示されていた。新年の能始で観た面は、能「式三番」で付ける白式尉の表情がよかった。この能面を打ったのが弥勒(みろく)と言われていう。
 大きな舞台では、弥勒打の翁面「白式尉」を着けることもあるという。

  夢に舞ふ能美しや冬籠  松本たかし『石魂』
 (ゆめにまう のううつくしや ふゆごもり)

 松本たかしは、幼少より能の稽古をしていたが、17歳で肺尖カタルを患い、能役者の道を諦める。父の能役者仲間の「七宝会」に参加し、高浜虚子に師事するようになる。
 かつて、厳しい能の稽古に明け暮れていたたかしは、厳しい俳句の客観写生の鍛錬にも、自然に入ってゆくことができた。

 句意は、俳句の道に入り、虚子の教えを「只管作句只管写生(しかんはいくしかんしゃせい)」であると唱えて、写生に励み、巻頭作家となり同人となったが、ときには、あの美しい能を舞う姿を夢に見ることがあるのですよ、となろうか。
 【冬籠・冬】
 
 たかし俳句の特有は、例えば〈包丁を取りて打撫で桜鯛〉〈チゝポゝと鼓打たうよ花月夜〉などのように、崩れんとして危うくとどまる緊張の間に美が存在する世界である。