第四百二十三日 片山丹波の「冬天(とうてん)」の句

 正月はいつまでを言うのか、と改めて問われると「7日までじゃない?」「えっ、15日までじゃない?」と、幾つかの答えが返ってくる。一応、松の内を正月と考えるのが大方であるが、昔は15日までを松の内としていたが、とくに関東では現在は7日までを松の内としている。
 だが、実際には7日が過ぎても15日が過ぎても、新年になって初めて会えば、「明けましておめでとうございます!」と言う。

 平成15年、守谷に「円穹俳句会」が生まれた。円穹(えんきゅう)は、丸い空のことで、関東平野の真ん中に位置する守谷の空は360度のまるい空である。
 東京を離れた私が、母の介護で句会にも吟行にも行けない状態のとき、小学校以来の親友片山和子・丹波ご夫妻が「じゃあ、守谷で句会をやろうよ」と言ってくれたことに始まる。
 私の所属している「花鳥来」の仲間に声をかけるわけにはいかないから、共通の友だち以外のメンバーは、片山夫婦が様々に声をかけてくれた。8年間続け、最終的には20数名のメンバーとなった。
 
 東京や千葉から、車に乗ってやってくるから機動力はある。茨城県南から千葉県北部まで、毎月の句会はほぼ吟行句会となったが、当日の投句は吟行句だけではなく自由であった。
 正月の句会に合わせて、1年間の自選5句と仲間の選評のある、1人1頁のコピーの手作りの冊子を作った。その8年分の仕上げが『合同句集 円穹』である。
 
 今宵は、片山丹波さんの作品を『合同句集 円穹』から紹介させて頂こう。

  石鎚山の冬天衝くやシベリウス
 (いしづちの とうてんつくや しべりうす)

 四国を旅されたときの作品である。百万本清の選評は、次のようである。

  作者は、断崖絶壁の尖る冠雪の石鎚山の上空を飛んでいた。――無音の世界。だが身体中にフィンランドの作曲家シベリウスの弦楽器の音が厳かに響いている。
 「冬天衝く」という写生が秀逸であり、「や」の切れ字の力で大きな世界を現出した。この作品は、平成20年、俳句を始めて5年目の、作者の俳句開眼の年であったか。【冬天・冬】

 丹波さんは、この「石鎚山」をタイトルに選んだ。この旅では松山市の〈いわしぐも坊ちゃん列車ゆつくりと〉のほか、蝋の産地の内子町へ訪れて〈木蝋の栄華の跡や石榴の実〉など詠んでいる。

  吹雪く夜は遠く白虎の吼ゆる声
 (ふぶくよは とおくびゃっこの ほゆるこえ)

 仙台は、東北大での学生時代を過ごした土地。同じ東北大出身の添田昌弘の選評を紹介しよう。

 雪は少ないが、偶に一晩中、強風の中、雪がふることがある。風の音はあらゆるものが吼えまくっている感じがするが、白く雪まみれになった「白虎が咆哮している」と言い現したのは実感がある。吹雪いた翌朝はカラリと晴れ渡るので、「朝のこない夜はない」の言葉のようだ。吹雪の夜はそうしたことも象徴しているようだ。【吹雪・冬】

  児を遺し何処を旅す寒北斗
 (こをのこし いずこをたびす かんほくと) 

 この作品は、2歳の丹波さんを遺して亡くなられた、美しかったお母様を詠んでいる。冬空にくっきりと星座の形が見える寒北斗を眺め、早逝した母へ、「なぜ、僕を遺して死んだのだろう・・」と、悔やんでも悔やみきれない想いが残っているのだろう。【寒北斗・冬】

 穏やかな山々が連なる丹波の国は、母の死んだ土地であり、後に父の死んだ土地である。俳号を「丹波」にしたのは、お父様が亡くなられた後であった。ご両親の眠る丹波の地には、丹波さんの「行きては帰る」俳句の根っこが、確かにあるような気がしている。

 片山丹波(かたやま・たんば)は昭和21年、京都府丹波の生まれ。丹波は俳号。東北大学卒。俳句は、平成15年より「円穹」からスタートし、「萬緑」を経て、現在は山形県米沢の関係者5~6人の「漆の実」に参加。小山八州史代表に師事している。