第四百二十九夜 久保田万太郎の「初場所」の句 

 令和3年の初場所は1月10日からスタートして、今日は5日目。2横綱の白鵬と鶴竜が休場中で、貴景勝と朝乃山と正代の3大関が今場所を牽引しなくてはならないのだが、3大関が揃って勝ったのは、5日目の今日が初めてである。
 明日の新聞の見出しはこれで決まったね、と夫。
 
 改めて歳時記を読むと、季題としては「相撲」「初場所」「春場所」「夏場所」「秋場所」があり、相撲協会では、「一月場所(初場所)」、「三月場所(春場所)」、「五月場所」、「七月場所(名古屋場所)」、「九月場所」、「十一月場所(福岡場所)」の六場所がある。

 秋の季題「相撲」にはこうある。もともと相撲は神事と関わりの深いもので、宮廷では初秋の行事として、相撲節会(め)すまいのせちえ)があった。諸国から集めた相撲人を選定し、闘わせるという年の豊凶を占う神事である。
 大相撲は年六場所の興行となったが、神社その他の祭礼で行われる宮相撲、辻相撲や草相撲、泣相撲は、秋祭の頃に行われることが多い。

 今宵は、初場所を中心に「相撲」の作品をみてゆこう。

  初場所やかの伊之助の白き髯  久保田万太郎 『新歳時記』平井照敏編
 (はつばしょや かのいのすけの しろきひげ)

 江戸相撲の行司家として最後まで残った木村家、式守家の当主が代々木村庄之助、式守伊之助を名乗っており、この2名跡の襲名者が立行司に遇されている。行司(ぎょうじ)とは、大相撲において、競技の進行及び勝負の判定を決するもの、またはそれを行う人である。
 力士が土俵に上がってからの一切の仕切りの責任は、次のように、行司の役目である。
 1・相撲勝負の判定を公示するため、行司は勝ち力士出場の東又は西に軍配を明白に差し上げることによって、勝負の決定を示す。
 2・両力士立礼の後、勝ち力士に勝ち名乗りを与えて競技の終了を示す。
 また、勝負の判定を刺し違えた場合には、切腹する覚悟の脇差を挿している。

 句意は、土俵の上ではこのような確固たる使命を担う立行司・伊之助は、頬に白い立派な髯をはやしていましたよ、となろうか。

  初場所や枡の中なる置炬燵  吉田冬葉  『新俳句歳時記』角川春樹編
 (はつばしょや ますのなかなる おきごたつ)

 吉田冬葉(よしだ・とうよう)は、明治25年、岐阜県の生まれ。初場所の相撲見物は大正から昭和の初期であろう。この頃はまだ冷暖房器具はなかったから、冬場は、枡の中に置炬燵があったと思われる。
 当時は劇場も椅子席ではなく、4人は座れる広さの枡で、近所の料亭からお弁当やお酒が運ばれて、舞台を観ながら飲食をしながら楽しんでいた。

  泣角力泣く子に地頭さへ勝てぬ 平畑静塔 『平畑静塔全句集』
 (なきずもう なくこにじとう さえかてぬ)

 句意は、泣角力(なきずもう)では、先に泣いた方が勝ちとするルール、逆に負けとするルールがあるという。同時に泣いた場合は大きな声で泣いた赤ちゃんの勝ちとなる。
 地頭とは、年貢を取り立てる役人で、「泣く子と地頭には勝てぬ」という格言があるように、道理の通じないのが「泣く子」と「地頭」と言われてきた。だがその地頭でさえ、さらに道理など通じる筈のない泣く子にはかないませんよ、となろうか。
 
 精神科医の平畑静塔も、理屈の通らない赤児の診察には困っていたのかもしれない。

  宿の子をかりのひいきや草相撲  久保より江
 (やどのこを かりのひいきや くさずもう)

 久保より江は、ホトトギスの俳人で、医学博士久保ゐの吉の妻。
 句意は、旅行中といっても長期滞在のようである。宿の子たちとも親しくなり、「おばちゃん、草相撲があるから見てね」と言われて見に行けば、もちろん、懸命に宿の子を応援しましたよ、となろうか。

 何日か、同じ屋根の下で暮らすうちに、「かりのひいき」と詠んではいるが、宿の、懐っこい小さな男の子に情が移ったのだろう。
 
 男の子たちは、子ども同士でも親子でも、戸外にゆけばすぐに組み合って相撲が始まる。じつによいコミュニケーションの取り方であると思う。