第三十八夜 高野素十の「雪片」の句

  雪片のつれ立ちてくる深空かな  高野素十『雪片』

 句意はつぎのようであろう。
「降る雪をじっと眺めていると雪の一粒一粒が空から下りてくるのが一筋となって見えますよ。」

 昭和八年の異国ドイツでの雪。素十の目には、その一粒が命あるもののように見えてきた。それが雪片である。掌に受けて見ると、一粒の雪片はそれぞれ違う模様の六角形のうつくしい結晶である。「つれ立ちてくる」とは、雪片を一つの個と見た言葉である。個として寂しい存在である雪片が、仲間の雪片とつらなって空から落ちてくる。空から地上に到るまでの短い命であり、すぐに溶けるかもしれず、積もった塊の一部となるかもしれない存在ともいえるが、「つれ立ちてくる」と叙したことで、この雪景色には温か味が感じられるのである。

 高野素十(たかのすじゅう)は、明治二十六(1898)年茨城県藤代市(現取手市)の生まれ。医師(医学博士)。高浜虚子に師事。昭和初期の「ホトトギスの四S」の一人として活躍。「芹」主宰。
 昭和三年に虚子は、「客観写生」「花鳥諷詠」を提唱した。昭和六年に秋桜子は、写生観の相違から、馬酔木に「自然の真と文芸上の真」を発表してホトトギスを離れた。虚子から「素十の行き方こそ厳密なる意味に於ける写生」と絶賛された素十は、昭和三年頃から医学研究専念のためと称して投句は欠詠がちであった。理由は、素十が争いの中にいることを好まなかったとは言えないだろうか。
 昭和七年新潟医科大学法医学助教授となった素十は、ドイツに単身で留学。掲句はその折の作。
 
 素十は、感興を起こす要因となる一点だけを表すために、言葉を多く尽くすのではなく、必要にして十分な簡潔な表現法としての〈省筆〉という方法、言葉や文字の省略の錬磨を心掛けた。素十は、「ホトトギス」の昭和三年五月号の「俳句の技巧の見方」で次のように述べている。
 「ここが技巧である。しかし表そうと思つたもとの物は心の鏡にうつゝた相である」と。
 客観写生や客観写生句についても、次のように述べている。
 「然し根本は心ー主観と云ふことになるのであります。」
 「所謂末梢的なるものは払い除け払い除け吾々のほんとうの心と云ふものに達しなければならぬ」と。
 もう一句、紹介してみよう。
 
  くもの糸一すぢよぎる百合の前  『初鴉』
 
 百合は高貴な香を放ちながら咲いている。蜘蛛はその香に惹かれて来る獲物の通り道に囲を張りはじめる。白い百合の花の前を、蜘蛛が一本の糸をきらめかせながら斜めに過ぎる。ぴーんと張りつめた一本は最初の一筋。素十は、その瞬間の百合の縦の線と蜘蛛の糸の斜めの線と、二本の交差する直線だけを言い止めた。蜘蛛の糸の一本の直線は、清浄な百合を斜めに過ぎるとき、忽ち不気味な存在となる。