第四百三十六夜 尾崎紅葉の「御慶申す」の句

 本日の早朝2時は、アメリカ合衆国では1月20日の正午であり、首都ワシントンで大統領就任式が行われ、民主党のジョー・バイデン氏が第46代大統領に就任した。カマラ・ハリス氏は、アメリカ初の女性でアフリカ系でアジア系の副大統領になった。
 今回は、大統領選での新旧交代までの凄まじさもあって、ニュースに釘付けになっていた。
 60年前の、1961年に大統領になったケネディは、1963年に暗殺された。日本時間とは14時間の時差があるが、テレビ画面で観ていたことを思い出した。
 私は、当時高校3年生。社会科の授業は東大からきていた若い講師であったが、授業中に私たちひとりひとりに意見を訊いた。真剣であった。だが16歳の若者たちは誰も本心を言わなかった。きちんと意見を言えなかったというのが事実であるが、がっかりさせてしまったことが、今も、心に残っている。

 昨日に続き、『現代俳句集』(日本近代文学体系56)を読むと、夏目漱石、芥川龍之介、寺田寅彦など、小説家や詩人の文人俳句があった。

 今宵は、尾崎紅葉の俳句を『現代俳句集』の中の『紅葉句集』より紹介してみよう。
 
  二十世紀なり列国に御慶申す也 
 (にじゅっせいきなり れっこくに ぎょけいもうすなり)

 句意は、新しき二十世紀を迎え、世界列国に新年の挨拶を申し上げます、となろうか。
 
 「御慶」は、新年を祝う挨拶の言葉で季語である。1901年、明治34年1月1日は二十世紀の始まりで、「二十世紀」という言葉は、最先端をゆくハイカラな流行語であった。夏目漱石の『吾輩は猫である』の中にも「吾輩は二十世紀の猫だから」とあるという。【御慶・新年】

  春寒や日闌けて美女の漱ぐ
 (はるざむや ひたけてびじょの くちすすぐ)

 句意は、立春を過ぎたのになお寒い日、昼近くになって漸く起きてきた美女が、井戸端で朝の手水を使っていますよ、となろうか。
 
 「漱ぐ」は、今でいう、歯磨きのことであるが、尾崎紅葉の時代は、井戸端での朝の洗顔すべてである。昼近くになって起きてくる美女とは、尾崎紅葉の小説に登場する艶な女性であろう。ゆったりした物腰が目に浮かぶようだ。【春寒・春】

  泣いてゆくウェルテルに逢ふ朧哉
 (ないてゆく うぇるてるにあう おぼろかな)

 句意は、叶わぬ恋に泣きながら去ってゆくウェルテルに、春の朧の中で逢ってしまいましたよ、となろうか。

 「ウェルテル」は、ゲーテの小説『若きウェルテルの悩み』の主人公。親友の婚約者ロッテに恋をしてしまったウェルテル、もちろん恋が叶うわけはない。傷心のあまりに自殺してしまうウェルテル。明治時代にいち早く出た翻訳本を読んでの作品は、当時は斬新であったに違いない。【朧・春】
 

  稲妻や二尺八寸そりやこそ抜いた
 (いなずまや にしゃくはっすん そりゃこそぬいた)

 句意は、稲妻がきらっと光りました。剣客はその瞬間、はたして思った通りに、二尺八寸もある長い太刀を流水のごとく抜きましたよ、となろうか。
 
 すぐれた剣客が刀を抜いた場面。「そりゃこそ」とは、はたして、思った通りだ、という意味である。江戸時代の井原西鶴など談林派の特色の1つである滑稽趣味の俳諧に「そりやこそ」を詠み込んだ句があるという。【稲妻・秋】

 尾崎紅葉(おざき・こうよう)は、慶応3年(1868)-明治36年(1903)、東京都生まれ。小説家。代表作は、『(二人比丘尼)色懺悔』、『伽羅枕』、『二人女房』、『多情多恨』、『金色夜叉』ほか。句集は、『紅葉山人句集』、『紅葉句帳』、『紅葉句集』の3つ。