「世界ハンセン病の日」は、1月の最終日曜日と決められ、令和3年の今年は、1月31日である。回復者に対する偏見と差別を根絶するためのグローバル・アピールは、2006年以来、毎年世界ハンセン病の日に合わせて発表しているという。
「ハンセン病の日」とは、インドのマハトマ・ガンジーがハンセン病患者、回復者の社会への復帰と差別解消に生涯をかけて寄り添い取組んだ功績をもとに制定された日である。
ハンセン病は癩病(らいびょう)のことで、癩菌によって起こる慢性感染症である。皮膚に結節や斑点ができ、かつては不死の病と言われ療養所に隔離された。
塔和子(とう・かずこ)は11歳で発病し、両親の元を離れて会えぬまま国立療養所大島青松園で隔離された生涯のなかで、詩集を20冊以上発表した詩人である。
塔和子さんとは不思議なご縁があって、草創期の蝸牛社から第3詩集『第一日の孤独』を出版させていただいた。
塔和子さんの詩「金魚」の一部を紹介してみよう。
器の中のなまぬるい水につかってから
あなりにながいので
幸せがなになのか
自由がなになのか
健康がなになのか
もう麻痺してしまってわからない
ふと
口ばしを鉢にぶつけて
生きていたと
鮮烈に五体を走るものを知る
金魚はときおり
開けられた窓の向こうの空を見ながら
かすかな声が自分を呼ぶのを
きいたような気がして
ひくひくと
身をふるわせる
『ハンセン病文学全集 第7巻 詩二』皓星社
今宵は、最後のハンセン病患者の覚悟で詠んだ、村越化石の作品を紹介しよう。
闘うて鷹のゑぐりし深雪なり 村越化石 『山国抄』
(たたこうて たかのえぐりし みゆきなり)
詩人の塔和子さんの時代とは代わって、村越化石氏の時代には、新薬のプロミンでハンセン病の治癒が可能になっていた。だが、プロミンの副作用で片目が見えなくなり、第2句集『山国抄』が刊行される前には全盲になっていたという。
句意は、深々と積もった雪の上に、激しく抉(えぐ)られた傷跡を見た。この雪の痕跡は、鷹が獲物との格闘したときの鷹の爪痕にちがいない、となろうか。
掲句の激しい詠みぶりは、筆者の私には、鷹と獲物との闘いを直に見た光景ではないように感じられた。作者が見たのは、真っ白い新雪に作られた無情の痕跡であった。
ハンセン病患者であり、さらに新薬治療の過程で盲目となった作者の目には、鷹が抉ってしまった深雪にできた穴は、自身の故なき病気と重なり、故なき傷跡のように感じられ、いつしか雪の痛みへ同化していったのではないだろうか。