第四百四十三夜 隈 治人の「宇宙」の句

 アメリカ合衆国のスペースシャトルの実験は1981年から2011年に135回打ち上げいる。1986年のチャレンジャー・スペースシャトル・オービタは10回目のミッションの打ち上げ中に爆発し、クルー7名全員が死亡。日系人のエリソン・オニヅカが初の民間人宇宙飛行士も搭乗していた。
 この事故が起きたのが、1986年、1月28日であった。

 日本のジャーナリスト・ノンフィクション作家・評論家である立花隆著『宇宙からの帰還』(1983年刊)は、12名の有人宇宙飛行士と重ねたインタビューによって書かれている。一部を紹介させていただく。
 
 「その眺めは格別だ。(略)夜明けの地域と日没の地域が同時に見え、地球が回転し、時間が流れていくさまを観察することができる。それはまさに神の眼で世界を見ることだ。生きた世界が刻一刻と私の目の前でその生を展開しつつある。私もその世界に属している一員ではあるが、私はここにおり、その余の世界のすべては、私に見られてそこにある。私は人でありながら目だけは神の眼を持つ体験をしているのだと思った。そして、地球から離れるに従って、地球は、ますます美しくなる。その色が何ともいえず美しい。」
 
 「地球は青かった」と言ったのは、1961年、世界初の有人宇宙飛行としてボストーク1号に単身搭乗したソ連の宇宙飛行士ガガーリンである。あれから40年ほど経った現在では、テレビの特別番組や宇宙の映画で、宇宙から眺める青い地球の美しさを映像として見ることができるようになっている。
 
 今宵は、宇宙を詠んだ作品を紹介してみよう。
 
  宇宙さまよう死ありコンピューター吃る  隈 治人 『現代歳時記』成星出版刊 
 (うちゅうさまよう しあり こんぴゅーたーどもる)
 
 句意は、宇宙開発は人工衛星だけでなく有人宇宙ロケットまで進んでいる。しかし、事故が起きて死ぬこともある。突如、宇宙船やロケットが大宇宙空間でぐるぐる回っているときがある。それはコンピューターの誤作動によるものである。コンピューターが人間の指示通りに動かない様子は、人間に置きかえて考えると、何を言いたいのか相手に伝わらない状態の吃っている状態のようですよ、となろうか。
 
 映画の世界では、宇宙戦争は地球規模の戦争をはるかに越えていて、他の惑星の宇宙戦艦との闘いである。じつは私は、どうなっているのか理解できないのだが、映画ではコンピューターが壊れて、飛行士の指示通りに動かない場面がよく出てくる。
 
 隈治人氏は、宇宙開発も宇宙映画もよくご存知なのであろう。「宇宙さまよう死あり」「コンピューター吃る」の言葉は、宇宙を詠っていながら、地球にいる我々にもすぐに状態がつかめる表現である。複雑な世界をじつに平明な言葉で詠んであるところに惹かれた。

 夫は宇宙が好きなので、このところ続けて宇宙映画を一緒に観ていた。おかげで、この俳句の景が何とか見えたように思う。
 この作品は、「宇宙」を季語として詠んだのだろうか。私は、季語という意識を持つことなく縛られることなく詠んだように感じられた。無季の句でよいと思った。
 
 だが、成星出版刊『現代歳時記』の中に出合った句である。この歳時記は、金子兜太、黒田杏子、夏石番矢の三人による編集であり、季語は、月別であるが12月と1月の間に新年が入っている。最後に「雑」の部を設けたところが本書の特徴であるという。
 掲句は「雑」の部の、「宇宙」の例句であった。
  
 隈治人(くま・はると)は、大正4年(1915)- 平成2年(1990)、長崎市生まれ。現長崎大学薬学部卒。戦災の悲劇を句作の原点とした。昭和26年、「かびれ」に入会し大竹孤悠に師事。昭和29年、長崎原爆忌俳句大会を創設。昭和37年、金子兜太らと「海程」を創刊・同人。昭和40年、第12回現代俳句協会賞受賞。昭和46年「土曜」創刊・主宰。平成2年、長崎新聞文化賞。