第四百四十四夜 藤田湘子の「冬ならず」の句

 1月もあと2日となった。晴れた日には春がすぐそこまで来ていると思うが、昨日は寒くて、夕方には雪が降りはじめた。2時間ほどすると雪は積もることなく止んだ。夜には、星も瞬きはじめた。
 
 平井照敏編『新歳時記』の「春隣」の〈本意〉にこうあった。
 『古今集』に「明日春立たむとしける日、隣の家の方より風の吹きこしけるを見て、その隣へ詠みてつかはしける 冬ながら春の隣の近ければ中垣よりぞ花は散りける 深養父」のうたがある。
 歌人清原深養父(きよはらのふかやぶ)の一首で、雪さえ花かと見る気持ちである。
 
 季題「春隣」は、冬も終わり近くなると、どことなく春の気配が漂いはじめる。降っていた雨が雪にかわったり、雪が雨にかわったりする。晴れた日の空気はきらきらして、明るさを感じさせる。
 
 今宵は、すぐそこにある「春隣」の作品を紹介してみよう。
 
  夕星のいきづきすでに冬ならず  藤田湘子 『現代俳句歳時記』成星出版
 (ゆうぼしの いきづきすでに ふゆならず)

 句意は、1月も終わりに近づいたある日、夕星の息づきのような星の輝きを見ていると、最も寒い寒の入りのころの尖ったような星々の息づきとは何か違っているように感じましたが、もう冬ではないのですね、となろうか。

 一等星をじっと眺めていると、星は、じゅわーっじゅわーっというリズムを持って瞬いているように感じる。藤田湘子氏は、それを「いきづき」と表現した。最も厳しい寒の夜空の星の息づきを見て知っていたからこそ、ほんの少し凍てが緩んだときに感じた星の息づきを鋭く看破したのだ。【冬終わる・冬】

  春隣る空かたぶけて牡丹雪  西島麦南
 (はるとなる そらかたぶけて ぼたんゆき)

 句意は、大ぶりの牡丹雪が、まるで空が傾いているかのように風に吹かれながら降ってきましたよ、じきに止んだことから、この牡丹雪は春がすぐそこに来ていることの証しの雪ですね、となろうか。
 
 1月になって、中頃と昨日、茨城県南の守谷市にも雪が降った。
 中頃の雪は、はらはらとした小雪で、ちょうど買物に行く途中であったので、会う人ごとに「雪が降ってきましたね」などと挨拶がてらに言い交わした。
 立春を数日後に控えた、昨日の雪は夕方から降り出して大粒の牡丹雪だったので積もるのではと心配したが、2時間ほどで止んだ。
 平沼洋司著『気象歳時記』(蝸牛社刊)によれば、「雨雪」と「雪雨」とあるが、「雨雪」とは秋から冬になるころ降る雨に雪がまじることをいい、季節が進み冬から春へと移りゆくときに降る雪に雨がまじるのを「雪雨」というのだそうだ。どちらも気象用語では「霙(みぞれ)」であるという。
 
 掲句は「雪雨」。「雨雪」と「雪雨」は似ているが、西島麦南氏の作品には、春を待つ気持ちが表現されている。【春隣・冬】

 西島麦南(にしじま・ばくなん)は、明治28年(1895)-昭和56年(1981)、熊本市生まれ。岩波書店校正課の初代課長。「校正の神様」と称えられた。俳句は飯田蛇笏に師事。「生涯山炉盧門弟子」と称し、「雲母」一筋の俳人。