第四十夜 上野章子の「秋風」の句

  秋と書きちよつと外見て風と書く  上野章子『日向ぼこ』
 
 句意は次のようであろう。
「一句詠もうとしてまず〈秋〉と書いたところで、外を見ると爽やかな風が吹いていたので〈風〉と書き加えましたよ。」

 この句の季題は「秋風」。歳時記では八月七、八日頃の立秋を過ぎれば秋だから、ちょっと確認したということなのか、子どものように素直な心のままに体が動き、窓を開けて五七五にした。読者は、章子と一緒に「秋風」を発見した新鮮な心持ちになる。

 上野章子(うえのあきこ)は、大正八(1919)年、鎌倉市生まれ。高浜虚子の六女で、平成十一年に八十歳で亡くなられた。夫はホトトギスを代表する俳人の上野泰。夫の泰亡き後、「春潮」主宰を引き継いだ章子の書き溜めた随筆集『佐介此頃』(角川書店刊)の文章を思い出す。
 章子の行間の多い文章は、すべてを言い尽くさない俳句に似ている。ふと見過ごしたり、やり過ごしたりするかもしれない、小さな心の動きの、エピソードがいっぱい詰まっている文章なのである。
 人とも、庭の樹や花や草とも、犬や猫とも、また古い机や鏡とも、章子の心の交流は、同じくらい愛に満ちている。
 
 次のエピソードは、毎月の大阪と神戸の句会が終わり、新幹線に乗車した折の七十七歳の章子である。今まで何十年と何事もなく乗り降りしていたのに、座席を間違えて座ってしまったのだ。隣の座席の若い男性のなにくれとない優しい動作、切符を間違えられたのに席を譲り隣の車両へ移動してくれた中年の男性、立ち上がったとき手を差し伸べてくれた車掌のことを書きながら、章子はふっと「老い」を感じたのだった。「老い」は、どうやら、自分で自覚する頃から始まるようだ。素敵な俳人に「老い」の達人は多い。
 随筆集『佐介此頃』から一部を、抜粋させていただく。
 「さっき、闇の車窓に映った自分の姿がふと浮かんだ。私は老人にしか見えないのである。
 (略)
 大阪から三時間、二十三年間通っている間に、この三時間ほど失敗をしたことはなかった。
 しかしこれほど親切にしてもらい労られたこともなかった。
 老い、ということも幸せなことだと思った。」
 
 章子の、最晩年の作品をみてみよう。
 
  われたのしうぐひす老を鳴いてをり  季題「老鶯」
  枯れてゆく萩に佇ちゐて会者定離  季題「枯萩」
  もう少し俳句つくらう日向ぼこ  季題「日向ぼこ」
 
 まだ私は、心から理解できているわけではないが、「花鳥諷詠詩」とは、よく生きて人生かけて到達できる、万物と自在に交流できる境地なのだろうかと考える。