第四百四十九夜 下村非文の「寒明けて」の句

 今日2月3日は、令和3年立春である。よく晴れたうつくしい1日となり、気温は高目だが風が強く、空をゆく白雲が小舟のように流れていた。夕暮れの入り日はどうかしらと、外に出ると靄のかかった西空は濃いオレンジ色に染まっていた。
 
 犬の散歩の畑道には、犬ふぐりがほつほつと青い小花が咲きはじめていた。タンポポはまだ葉を大地にロゼット状にはりついている。
 でも、下萌えのはじまりである。
 
 今宵は、立春となり、動き出す春を感じさせる作品を紹介しよう。

  寒明けて昨日の心今日はなく  下村非文 『ホトトギス 新歳時記』
 (かんあけて きのうのこころ きょうはなく)

 句意は、寒さが明けるという今日はもう、昨日までのひたすら春を待っていた心はすっかり失せてしまいましたよ、となろうか。

 「寒明け」は、寒の入りから30日目に当たる立春の日と同じ。令和3年の今年は2月3日であるが、大抵は4日、5日である。1月はいちばん寒い月である。昨日が今日になったからといって、すぐ春の暖かさがやってくるはずのないことは知っていながら、心持ちは昨日とはすっかり違っているのだ。
 「春」とは、そんな風に心を前向きにさせる力がある。
 下村非文(しもむら・ひぶん)は、「ホトトギス」の俳人で、松本たかしに師事。田村木国の「山茶花」の主宰を継承。

  古利根の春は遅々たり犬ふぐり  富安風生 『新歳時記』平井照敏編
 (ふるとねの はるはちちたり いぬふぐり)

 富安風生も、「ホトトギス」で昭和5年から14年まで100回行われた「武蔵野探勝」の吟行に参加した一人である。12回目の場所が古利根であった。日本一長い利根川を整備した際に「古利根」と「利根川」と呼び名が分かれ、埼玉県の粕壁(現在の春日部市)より北を「古利根」と呼ぶことになったという。
 この古利根は、伊勢崎行き東武電車で粕壁駅で降りる、水原秋桜子の推奨した吟行地であったという。
 「武蔵野探勝」は秋の10月に行われたが、掲句は、季題「犬ふぐり」なので、早春の別の吟行で詠まれた作品であろう。
 
 句意は、ここ古利根という大河の土手や河川敷は春になったといっても、まだまだ寒く、春はゆっくりとやってくるようです。土手には早春に地に這うようにして青い小花の犬ふぐりが咲いていましたよ、となろうか。
 
 川風もあって、古利根の土手や河川敷を散策していると、遅々として春になっていくのだと風生は感じたに違いない。

  梅二月ひかりは風とともにあり  西島麦南 『新歳時記』平井照敏編
 (うめにがつ ひかりはかぜと ともにあり)

 梅は桜とならんで、代表的な春の花であり、百花に先駆けて咲く春告草(はるつげぐさ)である。香気が高く、気品ある清楚な感じは日本人が古来より好んだ花で、「万葉集」では花といえば梅であった。
 「如月(二月のこと)」を、傍題で「梅見月」という。「梅二月」も季題として詠むこともあろうが、明治28年生まれの西島麦南(にしじま・ばくなん)の頃は、春の季題「梅」として詠んだのではと思う。
 梅は、1月の終わり頃に数輪咲くこともあり、2月には楚々とした姿を見せ、3月には、虚子が〈老梅の穢き迄に花多し〉と詠んだようにみっしりと花をつける。
 この句は、「梅二月」としたことで、ほどよい咲き様が見える。
 
 句意は、2月の冴え返る風の中の光りは鋭くなり、梅の花びらはいよいよ透けるように美しくなってきましたよ、となろうか。

 春の気候変動は激しい。これから様々の春を見てゆこうと思っている。