第四百五十六夜 深見けん二の「軒の梅」の句

 梅花の感じは、気品の感じである。
 気品は、一の芳香である。眼にも見えず、耳にも聞えない。或る風格から発する香である。
 (略)
 それはまた、梅花の気魄である。霜雪の寒さを凌ぎ、自らの力で花を開き、春に魁けして微笑み、而も驕ることなく、卑下することなく、爛漫たる賑やかさもなく、荒涼たる淋しさもなく、ただ静に己の分を守って、寒空に芳香を漂わしてる姿は、まさに気品そのものの気魄である。しみじみと梅花に見入る時、恐怖や蔑視や悲哀や歓喜など、凡て心を乱すが如き情は静まって、ただ気高き気品の気魄に、人は打たるるであろう。(「梅花の気品」『豊島与志雄著作集』第6巻)
 
 平成28年までの全作品が、『深見けん二俳句集成』として纏められた。初句索引、季題索引があり、作品を調べる際に、全部の句集を読み返すことなく、見つけることができる。季題「梅」38句、「紅梅」が20句であった。
 早咲きの梅はもう、美しく花をつけている。「花鳥来」に入って1年目の1月は光が丘公園であった。その一角に梅園があって、けん二先生が〈紅梅の蘂ふるはせて風にあり〉の作品が生まれた現場に、私も佇んでいた。だが句会でこの作品が回ってきた時、この作品を採ることが出来なかったことを覚えている。
 
 今宵は、深見けん二の「梅」の句を見ていこうと思う。
 
  辞すべしや即ち軒の梅を見る  『父子昭和』第1句集
 (じすべしや すなわちのきの うめをみる)

 句意は、そろそろお暇をする頃だ、そのときふっと、軒に梅の枝が張り出しているのを見たのですよ、となろうか。
 上司とか大先輩の家に挨拶に行った時だ。用事も終わり、そろそろ席を立たねばと思ったと同時に、窓へ目をやり軒に梅の枝を見たという。映画の1場面を見ているような光景だ。この句は「即ち」の効果で2つの場面がすばやく展開してゆく。だが、こうした心の動きと目の動きは、案外に誰もが経験するのではないだろうか。
 季題「梅」は、作者の初々しさを表している。

  愛といふ言葉法王梅二月  『星辰』第3句集
 (あいということば ほうおう うめにがつ)

 この作品に出合ったとき、少し驚いた。しかしよく考えてみよう。「愛という言葉法王」の「愛」は男女の愛とかエロスだけではない。もっと深い、神の人間に対する自発的で無条件的絶対愛である「アガペー」というべき愛であろう。
 そう感じさせるのが、季題「梅二月」だ。梅花の風格のもつ、芳香と気品と気魄である。

  梅の花ひとりとなれば香りけり  『花鳥来』第4句集
 (うめのはな ひとりとなれば かおりけり)

 中七の「ひとりとなれば」をどう考えるかであろう。最初は、梅見の人たちが立ち去って、先生が1人になった時だと考えた。皆が立ち去ると、梅の木が梅花の香をいっぱい先生にとどけてくれた、と鑑賞した。だが、それでは作品は複雑な構成になってしまう。
 この作品は、「ひとりとなれば」も梅の花で、「香りけり」の主語も梅の花である一句仕立てである。
 句意は、一輪の梅の花がひとりとなったとき、大勢の目から開放されて、まるで大きな息をつくかのように香りましたよ、となろうか。

  紅梅の蘂ふるはせて風にあり  『余光』第5句集
 (こうばいの しべふるわせて かぜにあり)

 句意は、紅梅を見上げていると、早春の冷たい風に紅梅の長い蘂がかすかに揺れているのを感じましたよ、となろうか。
 
 この日、筆者の私は、他の連衆とともにけん二先生の行くところに付いていった。どんな風に季題を見るのだろう、側にいれば解るのではないかと思っていた。
 見上げる花は、枝の先で、花の揺れは気づいたとしても蘂が細かく震えているなどはまったく気づかなかったと思う。句会でも採ることはできなかった。
 最近になって、少し解ってきたことは、もしかしたらけん二先生も、梅の微かな揺れを見たのは初めてではなかったかもしれない。いつの日か句を成すことができるだろうと秘めていた年月の後のこの日、「蘂ふるはせて風にあり」の措辞が言葉となって先生の元へやってきたのかもしれない。
 けん二先生は、この句の2年前の平成元年の9月、毎日新聞に5回連載した「私の俳句作法」の中で「重ねる、授かる」という言葉をお書きになっていた。

  青空の切り込んでをり濃紅梅  『日月』第6句集
 (あおぞらの きりこんでをり ここうばい)

 濃紅梅の樹下に立って、上を見上げた景である。この青空は、中七の「切り込んでをり」の言葉の強さに負けないほどの、空気の澄んだ晴れ渡った日の青空でなくてはならない。
 濃紅梅の花の間に、青空が切り込んできたと詠んでいる。どうなるかと言うと、青空と紅梅が近づくと、青空は紺碧のように濃くなり、紅梅は紅色を濃くした濃紅梅となる。「切り込んでをり」とは、互いの強い気魄のことである。
 
 豊島与志雄(とよし・ よしお)は、明治23年(1890)-昭和30年(1955)、日本の小説家、翻訳家、仏文学者、児童文学者である。