第四百五十七夜 小杉余子の「てふてふ(蝶々)」の句

 『俳談』は、昭和18年、虚子の古希を記念して刊行された俳話集。大正14年から昭和15年にかけての「ホトトギス」座談会等での発言を抜粋したもので、俳論、文学的回想、身辺雑記など150余の短文からなる。座談の名手であった虚子の、最も脂がのりきった還暦前後の時期の俳話がたのしめる一書。深見けん二先生が解説を書いている。1つ紹介させていただく。

    片っぽづけて議論をするのはいかぬ 

 前にも繰り返して言った通り、若い人はよく片っぽづけて議論する。こうでなくちゃならんというように。それだから間違う。写生は正しい。一応はこうでなければならぬ。けれども取り除け(とりのけ)がある、ということを始終考えていなければ間違って来る。俳句というものは素朴なもので、それは俳句の長所と思われるけれども、しかしながら素朴でないものもまたあっていい。そこをよく弁(わきま)えなくてはならぬ。
 むやみに片っぽづけてしまってはいかぬ。それでいて限界がなくちゃならぬ。(昭和9年3月)                 高浜虚子著『俳談』岩波文庫

 今宵は、「蝶」の句をみてゆこう。
 
  てふてふや今神様の毬ついて  小杉余子 『新歳時記』平井照敏
 (ちょうちょうや いまかみさまの まりついて)
 
 句意は、てふてふが飛んできた。跳ねるように飛ぶ様は、人間の目には見えないが神様の毬をとんとんついているようだ、となろうか。
 この句は、蝶の飛ぶ姿をこのように表現したのであろう。描写ではあるが飛躍した描写によって、蝶が春という「ものみな生き生きとした季節」を楽しんでいるかのようである。
 
 小杉余子(こすぎ・よし)は明治21年-昭和36年時代の俳人。神奈川県出身。松根東洋城に師事し、大正4年「渋柿」に参加。昭和10年、「あら野」の創刊に参加。平明な写生句で知られた。句集に「余子句集」「余子句選」。

  初蝶は正餐に行くところなり  中原道夫 『顱頂』
 (はつちょうは せいさんにゆく ところなり)
 
 第二十三夜の「千夜千句」でも紹介していたが、「初蝶」の句として一番好きな句である。
 今宵は「蝶」の句を紹介しているので、再度登場してもらった。
 
 句意は、生まれたばかりの真っ白な初蝶を見かけたが、きっと真っ白な絹のドレスを着てパーティーに行くところですよ、となろうか。
 昔、西欧では、少女がある年齢になると社交界へのデビューとしてパーティーへ招かれるようになる。最初は真っ白なドレスを着て、胸を高鳴らせて、どきどきして、おどおどして出掛けてゆく。新鮮である。
 中原道夫氏は「初蝶」からこんなイメージを得た。そこには「正餐」という美しい言葉が添えられた。

  一蝶の誘ひ出したる蝶一つ  深見けん二 『菫濃く』
 (いっちょうの さそいだしたる ちょうひとつ)

 句意は、一蝶が飛んでいると、誘われるように蝶が一つ現れて、双蝶となって仲良く飛んでいますよ、となろうか。
 
 蝶の恋のはじまりである。番(つがい)となり、葉や草の裏に卵を産みつけ、命を繋ぐことが生きとし生けるものの使命だから。それにしても、蝶の恋のはじまりである「誘ひ出したる」という決め方が見事である。

  花ゑんどう蝶になるには風足らず 大串 章『秀句三五〇選 虫』宮坂静生編著
 (はなえんどう ちょうになるには かぜたらず)」

 句意は、ゑんどうの花が咲いています。早春の風の中で花はしきりに揺すっていて、もうすこし風が強く吹いたら、きっと花は蝶となっていっせいに飛んでいきそうですよ、となろうか。
 
 この作品の季語は「ゑんどうの花」であるが、宮坂静生氏は「虫」の作品として紹介している。ゑんどうの花の一つずつは、黒目のようにも見え、蝶の形にも見える。エスプリの効いた捉え方である。
 
 紹介した「蝶」は、ユニークな作品を選んでみたが、蝶の捉え方のすばらしい作品ばかりである。