第四百五十九夜 山崎ひさをの「春の雪」の句

 「春の雪」は、春になって気温が上がってから降る雪は、結晶が融けかかっているため、たがいに密着し合って大きな雪片となり、積もっても溶けやすく、降るそばから消えるので淡雪ともいう。しかし、年によっては意外な大雪が積もり、思わぬ雪害をもたらすこともある。
 
 大雪となった春雪を思い出すと、こんなこともあった。娘が都立高校の受験の日、雪が降って電車が遅れ、校舎に着いたのはほんの少しの遅れであったが、校門は閉まっていた。
 しばらく迷ったが、驚いたことに、当時15歳の娘は、校門をよじ登って校内に滑り込んだ。遅れた理由も、どうやって入ったかも聞かれたようだが、時ならぬ春の大雪に免じて試験を受けることができ、無事に入学した。
 大人しくて無口な子であるが、どうやら突発事故をくぐり抜ける力はあるようだ。

 今年になって、黒い雲がやってきて小雪を降らせたと思うや、数時間ほどで止んだことが2日あった。どちらも淡雪で、牡丹雪で、雪片は大きかったので積もるかと心配したが、昼間であったので凍結もなかった。
 雪が好きな私だが、75歳、骨折をした身ではもう雪掻きはしたくないなあ。

 今宵は、「春の雪」の句をいくつか紹介してみよう。

  白鳥の死やその上に春の雪  山崎ひさを 『蝸牛 新季寄せ』
 (はくちょうのしや そのうえに はるのゆき)

 句意は、このようであろう。三月の初め頃には、北に向かって次々飛び立つ白鳥であるが、翼に怪我でもしたのだろうか。ついに死んでしまった。白鳥の飛来する北国では、まだ春の雪が降り積もっている。死んでしまった白鳥の上にも、羽毛蒲団を掛けてあげているかのごとく降りかかっている。「春の雪」がいかにも優しい。
 
 「春の雪」の季題で、真っ先に浮かぶのが山崎ひさを先生の「白鳥の死」の作品である。
 
 季題「春の雪」の本意は、淡く明るく、しかも直ぐに融けてしまう儚さもある。白鳥は、越冬地の日本に飛来して生まれた雛鳥を育て上げ、子白鳥と一緒に北へ帰ろうとした矢先の死である。
 この句には、春の雪の儚さ、白鳥の死の悲しさ、そしてどちらも美しい、という本質が詰まっている。

  妃の陵へ捨身あらそひ春の雪  赤松惠子 『秀句三五〇選 雪』今瀬剛一編
 (ひのりょうへ しゃしんあらそい はるのゆき)

 句意は、皇后の陵(墓)に春の雪が降っている。眼目は中七。「捨身」とは、仏を供養したり、衆生を救うために身を捨てるということが本来の意味であるが、ここでは、妃への供養の心を、身を投げだすかのように斜めに一心に先を争うように降っている雪の姿に重ねている、ということではないだろうか。
 
 作者には、捨身の姿に見えたのだった。

  玻璃窓に来て大きさや春の雪  高浜虚子 『新歳時記』平井照敏
 (はりまどにきて おおきさや はるのゆき)

 句意は、ガラス窓にぶつかるように降って来る雪の一粒一粒の、なんと大きいことよ、となろうか。
 
 春の雪は、春になって気温が上がってから降る雪は、結晶が融けかかっているため、たがいに密着し合って大きな雪片となると言われるように、ガラス窓に当たるとき、地面に着地するとき、あるいは手のひらに載った雪片は、ベチャッとして、大きく見える。
 「玻璃窓に来て大きさや」と詠んだのは、そのように見たままを捉えたままを、描写したのであろう。一見して、そのままの作品であるとも言えるが、安心して春の雪をずっと眺めていたい気持ちになるから、そのように詠んだ虚子の真実は強い。