第四百六十四夜 西山白雲の「冴え返る」の句

 1930年2月18日、アメリカのアリゾナ州にあるローウェル天文台で助手であったクライド・トンボ―が、後に冥王星と命名される新惑星を発見した。明るさ15等星の小さな星は望遠鏡では見つけることはできないが、膨大な写真を検証することで新惑星を発見したという。
 太陽系の惑星は、水星、金星、地球、火星、木星、土星、天王星、海王星の8つと冥王星を含めた9つであると、昭和20年生まれの私たちは、学校で学んだが、どんどん研究は進み、現在では「冥王星」は準惑星となっている。
 
 どの星も宇宙の果てない遠さにあるが、寒の日々が終わっても、冴え返る夜空の星たちは、願いを込めて祈りを捧げれば夢は叶うかもしれないと、瞬きのウィンクをしてくれる。
 立春を過ぎても昨日までは、もう春になっていることは疑うことがなかったが、今日の寒さは、がらりと一転して1月に戻ったようである。
 
 今宵は、「冴え返る」の作品をみてみよう。

  冴え返り冴え返りつつ春央ば  西山泊雲 『白雲句集』
 (さえかえり さえかえりつつ はるなかば)

 西山泊雲は、第六十三夜で登場しているが、季題「冴え返る」を紹介となれば、この作品は是非入れなくてはならない。泊雲は、大正時代になって虚子が改めて写生を進めていた時期の「申し子」のような存在の作家である。
 
 句意は、春になってからも寒さがぶり返りぶり返りしながら、ようやく、春も半ばとなり春らしい日々となるのですよ、となろうか。
 
 明治39年、泊雲初期の代表作。「冴え返る」と「春」が季重なりで、「冴え返り」の言葉の重なりがある。だが、春とは、このように何度も寒さをぶり返してゆきながら訪れるものだと、改めて思い知らされる作品だ。
 この作品は、ここに至った泊雲の苦闘とその後の安寧が見えるようである。自然の中で自分の心を潜めて写生をしていると、自然の様々な営みに気づき、心は穏やかに安心する。
 『泊雲句集』の巻末記に、泊雲は「俳句は私を救ってくれた慰安である」と書いた。

  三日月は反るぞ寒さは冴えかへる  小林一茶 『カラー図説 日本大歳時記』
 (みかづきはそるぞ さむさはさえかえる)

 句意は、三日月が細く反っていますよ、そして春の寒さはぶり返していますよ、となろうか。

 昨日今日、ほんの少しの時間で沈んでしまう三日月が、細く大きく反り、色濃く美しく西空に輝いている。三日月は、そもそも反った形だが、一茶は「反るぞ」と詠んで、益々反ってゆくかもしれないことを思わせる。春の三日月は益々反るし寒さはぶり返すし、これは一大事だぞと、一茶は「冴返る」を俳諧の作品に仕立てた。

  父と子は母と子よりも冴え返る  野見山朱鳥 『新歳時記』平井照敏編
 (ちちとこは ははとこよりも さえかえる)

 句意は、父と子、母と子、どちらも親子喧嘩をしたり意志の疎通で関係が冷え込むことがあるが、父と子の方が母と子の場合よりも、冷え込んだ関係の回復はむづかしいものですよ、となろうか。
 
 「冴え返る」の季題を、時候の問題としてではなく、心の問題として詠んでいるところが、季題の新しい捉え方であると考えることもできる。
 
 同じ季題でありながら、三者三様の捉え方であった。