第四百六十六夜 西村和子の「獺祭(うそまつり)」の句

 陽暦2月20日、ちょうどこの頃は中国古来の天文学でいう七十二候に当たる。日本の二十四節気では雨水の初候。
 この時期に獺(かわうそ)は、魚をよく捕えるが、すぐには食べずに岸に並べておく。それが、祭の供え物のように見えることから、かわうそが先祖の祭をしていると見られるようになった。
 季題として「獺魚を祭る」「獺祭」「獺の祭」のように用いる。獺は「うそ」とも「おそ」ともいう。
 かわうそは、食肉目イタチ科カワウソ亜科。四肢は短く、指趾の間に水かきのある種が多い。鉤状に発達した爪のある種が多い。泳ぎが得意で、水中での生活に適応している。また、ラッコ以外のカワウソは陸上でも自由に行動することができる。
 
 「獺祭忌」という言葉があるが、これは、正岡子規が仕事をする際にかたわらに書物や紙をとりちらかして「俳句分類」をしたり、俳話を書いたりしいたことから、それを、魚をならべておく獺になぞらえて「獺祭書屋主人(だっさいしょおくしゅじん)」と号した。
 
 わたしの住む茨城県南の牛久沼の小高い地に画家の小川芋銭居がある。「河童の芋銭」といわれ、河童や獺などをよく描いて、一時期は高浜虚子の「ホトトギス」の表紙を飾っていた。
 かわうそは狐や狸と同じように、美女に化けたり坊さんに化けたりして人を騙すという妖怪じみた伝承もあり、河童の一種ともいわれる。120年も昔の牛久沼は、そのような雰囲気の沼であったかもしれない。
 芋銭の大作「魚祭」は、墨絵で、かわうそが釣っている姿と岸に並べた魚が描かれている。この作品は、水戸の県立美術館で観ている。

 今宵は、『カラー図説 日本大歳時記』から「獺魚を祭る(かわうそうおをまつる」の句を見てみよう。
 
  磧石まざと濡れをり獺祭  西村和子
 (かわらいし まざとぬれをり うそまつり)

 句意は、河原の石の上に、たった今まで獺祭の魚が置かれていたように、濡れていますよ、となろうか。
 
 河原を歩いていた作者は、濡れている磧石を見かけた。ちょうど2月20日頃、雨水の頃の出来事であったから、「獺祭」を思った。
 獺が、捕まえてきた魚を並べて置いたから磧石が濡れていると思った。実際には、そうした現場を見た人はいない。だが磧石が濡れていたことから、作者は獺祭の魚が置かれていたと想像してみた。濡れていたことで、獺祭をまざまざと思い描いたのだ。「まざと」は「まざまざと」と同じように考えていいと思う。
 
  茶器どもを獺の祭の並べ方  正岡子規
 (ちゃきどもを うそのまつりの ならべかた)

 句意は、大枚をはたいて集めた高価な茶器の品々を机にずらり並べて鑑賞している人がいる、ちょうど、かわうそが供物として魚を祭っている並べ方と同じようですよ、となろうか。
 
 「獺祭書屋主人」と言われ、そのように号してきた正岡子規である。子規自身は、茶器にお金を使うならば書物に使いたい人であるが、もっとも、28歳から34歳まで病臥していた身では贅沢は出来なかったが、少しは揶揄の気持ちもあろうか。