第四百六十九夜 角川源義の「天皇誕生日」の句

 天皇誕生日(てんのうたんじょうび)は、日本の国民の祝日の一つである。日付は、第126代天皇徳仁の誕生日である2月23日で、令和2年(2020)以降2回めとなる。
 今年は、コロナ禍の影響で、一般参賀もなく、天皇陛下お一人での会見となった。
 
 「天皇誕生日」と呼ばれるようになったのは太平洋戦争後の昭和23年からで、明治天皇と大正天皇、昭和天皇も、昭和23年までの誕生日は旧称の「天長節」と呼ばれていた。
 ちなみに誕生日と天長節は、明治天皇は1852年11月3日。大正天皇の誕生日は8月31日であるが盛夏のため、天長節は10月31日であったという。
 昭和天皇は、1901年4月29日生まれである。天皇即位は、戦前の1928年なので天皇誕生日は「天長節」と呼ばれていた。、1948年4月29日から、祝日「天皇誕生日」となった。

 現在の上皇陛下の誕生日は12月23日で、2018年までは「天皇誕生日」として国民の祝日となっていた。だが、上皇陛下が退位されたことに伴い、国民の祝日に関する法律が一部改正されることになった。
 令和になると、第126代天皇徳仁の誕生日の2月23日が「天皇誕生日」の祝日となった。 令和元年(2019)の12月23日は平日となり、令和2年(2020)の2月23日が新たに「天皇誕生日」の祝日となった。
 
 筆者の私自身が、はっきり覚えていなかったので、書き留めておくことにした。
 こうした経緯の中で、「天皇誕生日」が歳時記の季題となったのは、戦後昭和23年以降である。
 
 今宵は、「天皇誕生日」の俳句をみてみよう。
 
  天皇の日蛙小さき声たつる  角川源義 『新 歳時記』平井照敏
 (てんのうのひ かわずちいさき こえたつる)

 句意は、今日4月29日は天皇陛下の誕生日ですよ。蛙たちも小さな鳴き声を立てていますが、きっとお祝いをしているのでしょう、となろうか。
 
 角川源義(かどかわ・げんよし)は、日本の実業家、国文学者、俳人。角川書店(現・KADOKAWA Future Publishing)の創立者。俳号は源義(げんぎ)。
 大正6年生まれの源義の人生の半分は、戦前であったので、裕仁天皇は現人神でもあった。
 戦後になって、天長節から天皇誕生日に変わったからといって、この蛙と同じで、おおらかな声を立てることはなかったかもしれない。

  天皇誕生日その恋も亦語らるる  林 翔 『新版・俳句歳時記』雄山閣
 (てんのうたんじょうび そのこいもまた 語らるる)

 昭和天皇の長男の明仁親王が、軽井沢のテニスコートで出逢った、当時の「美智子様」との恋は、どこの家庭でもテレビが入った頃で、明仁親王と民間人である美智子様の恋の一部始終が国民の関心事であった。
 私は、高校から渋谷の青山学院へ通っていたので、赤坂御所のある国道246号線(青山通り)を通りぬけたパレードを見た記憶があるが、半世紀前のことで、もの凄い人並みの中で、あっという間に車列は通り過ぎた。
 
 日本が高度成長期時代での、皇太子の恋も小さな宮様の話題も、明るかった。
 明仁皇太子が第125代天皇に即位されたのは、昭和64年(1989)であり、天皇誕生日は12月23日となった。

 林翔(はやし・しょう)は、水原秋桜子の「馬酔木」に入門した後、能村登四郎とともに「沖」を創刊した。

  ジングルベル響き天皇誕生日  稲畑廣太郎 『ホトトギス 新歳時記』  
 (ジングルベルひびき てんのうたんじょうび)

 この「天皇誕生日」は、第125代天皇明仁の誕生日の12月23日のことである。まさにクリスマスも間近なので、誰もがクリスマスと同じ気分で連休を楽しんでいた。
 
 やがて、第125代天皇陛下の退位が2019年4月30日に決まった。陛下の在位期間は30年3カ月余りになる。7世紀以降の天皇では10番目の長さだ。退位時の年齢が85歳の陛下は、史上最高齢の上皇になる。天皇の譲位は202年ぶりで、陛下は「上皇」に、美智子さまは「上皇后」となった。
 皇太子徳仁親王が5月1日に新天皇に即位して、令和の御代となった。
 
 稲畑廣太郎(いなはた・こうたろう)は、稲畑汀子の息子で高浜虚子の曾孫。「ホトトギス」の俳人。