第四百七十夜 秋山トシ子の「蕗の薹(ふきのとう)」の句

 ときどき、金子みすゞの詩が読みたくなる。「見えぬけれどもあるんだよ。見えぬものでもあるんだよ。」の心を、いつまでも忘れないように。
 「日の光」の詩の一部を引用させて頂こう。

   おてんと様のお使いが
  そろって空をたちました。
  (なにしに、どこへ。)とききました。
  
  ひとりは答えていいました。
  「この「明るさ」を地にまくの、
  みんながお仕事できるよう。)
   (略)  

  のこったひとりはさみしそう。
  (わたしは「かげ」をつくるため、
  やっぱり一しょにまいります。)
            『わたしと小鳥とすずと』JULA出版局
 
 今朝、ここへ越して以来ずっとになるが、隣の空き地のままの野原から、天ぷらの分とガラスの器に挿す分とを籠一杯、黙ってもらってきた。2階の窓から、薄緑の小さな丸い芽の「蕗の薹(ふきのとう)」がほつほつ見えている。あまり小さくても硬いし、開き過ぎるのもよくない。今朝、今だ、と、頂いてきたのであった。
 
 1つ見つかると、次々に見つかる。あっという間に野原一面がやわらかな緑を帯びてくる。どうやら、蕗は、根っこで繋がっているようである。
 天ぷらのあと蕗味噌を作る。もう一回頂戴しにゆくのは蕗になってから。
 
 誰にお礼を言えばいいのかしら。神様かしら。
 
 今宵は、春一番に出合う「蕗の薹」の作品をみてみよう。

  眼が色を覚えつぎつぎ蕗の薹  秋山トシ子 「花鳥来」百句集
 (めがいろをおぼえ つぎつぎふきのとう)」
 
 秋山トシ子さんは、二百十七夜に続き2度目の登場だが、「蕗の薹」は、採れる場所を知っているのと知らないとでは見つける難しさが違う。トシ子さんの作品には、1つのヒントがある。
 
 句意は、蕗の薹を摘みに行っても、初めはなかなか見つからない。だが、そのうち目が慣れてくると、今度は次々に見つかるのですよ、となろうか。
 
 トシ子さんの句にハッと気づいた。
 「自覚はしていなかったけれど、眼が色を覚えてくれていたのね。そのデータが脳に送られてくるから、私たちは蕗の薹を見つけることができるのよ!」と、いうことであった。
 
 私たちの師の深見けん二は、常々こう仰っている。「吟行で、俳句を詠もうとして、写生の技を磨いても、それだけでは瞬間的に生理学的な発想はできるものではありません。17文字の俳句だけれど、俳人である私たちは様々なことを学んでおくことが大事なのですよ。」

  蕗の薹雲の中より巨人の手  齊藤美規 『新版・俳句歳時記』雄山閣
 (ふきのとう くものなかより きょじんのて)
 
 句意は、蕗の薹が大地から芽吹いてきました。その様は、ちょうど雲の中から巨人の手がぬーっと伸びてきたような形に見えましたよ、となろうか。
 
 あの小さな蕗の薹を、巨人の手の形に譬えてみせてくれたことに驚いたが、開きかけた蕗の薹は真ん中に頭花があり、葉のように開くのは苞葉である。この苞葉が、開いた形の巨人の手に見えたのだ。
 
 芭蕉に、「俳諧といふは別の事なし。上手に迂詐(うそ)をつく事なり。」の言葉がある。「迂詐(うそ)」が嘘で終わってしまうのではなく、「迂詐」によって、いかに効果的に表現するかであり、いかに衝撃的に真実を伝えるかであるという。
 齊藤美規は、「雲の中より巨人の手」と表現したことで、大地から萌え出した蕗の薹の姿形を見せてくれた。これこそ、見事な「迂詐」であろう。
 
 齊藤美規(さいとう・みき)は、大正12年(1923)- 平成24年(2012)、新潟県糸魚川市生まれ。昭和17年、「寒雷」に入会。昭和56年、「麓」を創刊・主宰。楸邨を生涯の師とした。