第四百七十二夜 今井千鶴子の「手毬唄」の句

 高浜虚子の『立子へ抄』に「ほのぼのとした勇気」という1篇の文章がある。何回も書き写しているが、その度に勇気をもらっている。また、書いてみよう。

  ほのぼのとした勇気

 「あきらめ」という文章に書いたように、俳句という詩は一応人生に対しあきらめの上に立って居るものとも言えるのであるが、しかしながらそればかりではない。冬が極まって春がきざすという大地自然の運行とともに、あきらめというものの果に自ずから勇気が湧いて来る、その勇気の上に立っているものとも言える。
 生滅滅已(しょうめつめつい)の人生とあきらめはするが、その底の方からほのぼのとした勇気が湧いて来て、それが四季の運行に心を止めて、それを諷詠するという積極的の行動である。あきらめきって何もしないのではない。あきらめた上に生じた勇気が俳句の行動となって現れ来るのである。俳句は消極的な文学ではなくて積極的な文学である。そうしてその勇気は人生に対する行動の上にも及ぶ。
                         (昭和26年3月)
 
 私も75歳、けん二先生に弱音を吐くと「まだまだお若いではないですか。」と言われてしまう。人生の後半期にいることは事実であるので、虚子の「俳句は積極的な文学である」という言葉を胸に、一日一日を過ごして行こうと思っている。
 
 昨日届いた「珊」は、あと数日で99歳になる深見けん二、93歳の今井千鶴子、75歳の本井英の3人による季刊誌で、128号冬となる。
 
 今宵は、「珊」から今井千鶴子の作品を紹介させて頂こう。

  ややかすれ声なる虚子の手毬唄  今井千鶴子
 (ややかすれごえなる きょしの てまりうた)

 句意は、新年の遊びの手毬唄を思い出していると、虚子が昭和14年に詠まれた〈手毬唄かなしきことをうつくしく〉が浮かんできて、しかもややかすれた声で手毬唄を唄っている虚子の声が、聞こえてきましたよ、となろうか。
 
 2009年、企画展「虚子没後50年記念 子規から虚子へ—近代俳句の夜明け」会場で、私は虚子のお声を聞いたが、独特な含み声であったことを思い出している。

 「手毬唄」は、鞠をつきながら口ずさむ唄であり、リズミカルな唄の内容は、「あんたがたどこさ」は有名だが、遊女、戦争、駅名、などさまざまである。
 千鶴子さんの30句のタイトルは「手毬唄」であり、その中に6句の手毬唄の句がある。鞠つき遊びというよりも、千鶴子さんの思い出を綴った6句であるように思った。虚子や立子のもとで「ホトトギス」「玉藻」の編集に携わった日々、母のつる女のこと、93年という長く生きた日々などを17文字の6句に込めたように感じた。〈思ひ出と共に古りゆく手毬唄〉であった。【手毬唄・新年】

 あとがきは、今回編集担当の千鶴子さんで、次のように書かれていた。
 
 「遠い遠い昭和の初めに生まれて、色々の経験をしてきた。
  原爆の光もみた。虚子先生の笑顔も見た。
  長い人生だったけど、一瞬だったとも思える。
  残された時間を、ふらふらと楽しみたい。
  表紙は残された人生へ、希望の朱色。」

 「珊」のメンバーの、深見けん二先生と本井英氏の作品は、日を改めて書かせて頂くことにしよう。