第四百七十六夜 坪内稔典の「たんぽぽ」の句

 春もやがて中ば近くなってきた。タンポポは、道端にロゼット状の葉を広げていて立ち上がってはいないが、もうじき、タンポポの花の咲き出す季節になる。
 
 ずっと気になっているのが稔典さんの「たんぽぽ」の句。春になれば思い出し、タンポポの野に立てば、突然のように「ぽぽのあたり」ってどこだろう、「火事ですよ」ってどういうことだろうと考えたりしていた。
 
 数日前も、夢というか目覚め前のうつつの間というか、ぼーっと考えが浮かんできた。そのとき初めて、もしかしたら「ぽぽのあたり」はどこか他所にあるのではなく、人の心の中にあるもので、わたしの中にもあるものではないかと思った。
 
 今宵は、坪内稔典さんの「たんぽぽ」の句をみてみよう。

  たんぽぽのぽぽのあたりが火事ですよ  『ぽぽのあたり』
 (たんぽぽの ぽぽのあたりが かじですよ)
  
 句意は、タンポポのポポのあたりが、火事になっていますよ、であろうか。
 
 言葉がシンプルだから、表面上の句意はこのようにしか取れない。読者は、この17文字の言葉とリズムに惹かれつつ魅了されつつ、わからないまま、となるのかもしれない。
 
 数日前に浮かんだ「わたしの中にもあるかもしれない」を、もう少し考えてみよう。哲学も心理学もかなり疎いが、75年を生きた間に、相当な苦労を重ねた月日を過ごしてきた。
 「ぽぽのあたり」は、人間の臍のあたり、決心する場所であり覚悟を決める場所でもあろうか。
 この臍(ほぞ)が、しょっちゅう「火事」になっているかの如く、いらいらし、癇癪をおこし、なぜか、大人しく収まるということを繰り返しているのである。
 
 でもタンポポは好きな花。どう見てもやさしい花である。たった一度だけれど、素敵な光景に出合っている。茨城県の鬼怒川の支流の小貝川の土手に、ここでは桜の名所として名高い2キロほどの側道がある。
 タンポポの花も終わり、桜の花も終わり、土手道は葉桜でこんもりしていた。
 わたしの吟行は黒ラブ犬との2人連れがほとんどなので、どれほど素晴らしい光景に出合ったとしても犬は証言してはくれない。
 
 タンポポを書く度に、このエピソードに触れているかもしてないが、ちょうどこの時期に、葉桜の道は白いものが舞っていたのだ。4月の終わりであったが雪が舞っていると思った。だが、白いものは空から降ってくるのではなく、2キロにわたる土手から一斉に空へと飛び立っていたのだ。近づいてみると、タンポポの白い絮であった。
 不思議な夢のような光景であった。