第四百七十九夜 深見けん二の「春満月」の句

 今日3月5日は啓蟄。地中に眠っていた蟻や地虫などが、暖かい気候になってその穴を出てくること。二十四節気のひとつで、ちょうど3月5日ころの虫類の穴を出る頃にあたる。
 
 そして本日は、私たちの師である深見けん二先生の誕生日で、99歳を迎えられた。百歳から一を差し引いた「白」で表す「白寿」である。
 昭和63年から平成元年に変わる年、私が練馬区光が丘のNHKカルチャーセンターで深見教室で学んでいる間に、先生は結社「花鳥来」を創刊主宰され、最初から参加したのであった。
 平成22年、けん二先生のお誕生日を〈啓蟄のものみな出でよ師は米寿 みほ〉と、私も詠んでいた。
 
 『深見けん二俳句集成』、その後の句集『夕茜』、主宰誌「花鳥来」、俳句個人誌「珊」などから、今宵の「千夜千句」のために、龍子奥様のこと、老いの句を探してみた。
 
 今宵は、ここでは数句だが、ご紹介してみようと思う。

  その夜や春満月を庭に見て  『菫濃く』以後
 (そのよるや はるまんげつを にわにみて)

 句意は、蛇笏賞受賞の通知を電話でいただいたその夜のこと、ちょうど、春満月の輝く夜でしたが、妻と一緒に庭に出てしみじみと月を眺め、月光を浴びていましたよ、となろうか。
 
 私は、受賞の通知をどなたからお聞きしたのだろう。ともかく、電話やメールが飛び交って、誰もがわがことのように喜んだ。「花鳥来」では蛇笏賞受賞パーティーが行われた。招待客のスピーチで長谷川櫂さんが、「深見さん、蛇笏賞を受賞して終わりではありませんよ。これから、私たちを大いに導いてください。」と、92歳の先生にハッパをかけてくださっていたのが印象的であった。
 そして、今日は、平成26年の蛇笏賞受賞から8年目である。【春満月・春】

  一と刻の珠と過ぎゆく夕涼み  『夕茜』
 (ひとときの たまとすぎゆく ゆうすずみ)

 奥様が、平成26年に胃癌で手術された。その後の心配のされようは、作品の数の多さにも現れている。いつも一回り年下の奥様から「うちのお坊ちゃま」と言われていたので、もしかしたら、ワンマン亭主の部分も多分におありかしらと思っていた。
 あるとき私は、「先生、こんな時こそ強い騎士(ナイト)になってくださいね。」と、変な俳句を作ってお見せしたことを思い出す。
 
 掲句の「一と刻の珠と過ぎゆく」の「珠」から、龍子奥様へのたとえようのないほどの慈しみの心が伝わってきた。【夕涼み・夏】

  老いゆくは新しき日々竜の玉  「花鳥来」
 (おいゆくは あたらしきひび りゅうのたま)

 句意は、老いは古くなったような感じを与える言葉であるが、一日一日が重なって老いてゆくわけだから、その一日は新しい一日の積み重ねである。深見先生の好きな作品に、虚子の昭和14年作「竜の玉深く蔵すといふことを」があるが、一日一日を「竜の玉」を慈しむように大切に過ごそうと考えていらっしゃるのだ。【竜の玉・冬】

 ドイツ生まれのユダヤ人のサムエル・ウルマンに「青春」という詩がある。最後の2行だけ紹介しよう。
 「頭(こうべ)を高く上げ希望の波をとらえる限り、
 八十歳であろうと人は青春にして已(や)む」
 
 深見けん二先生は、昭和16年の19歳から高浜虚子に師事して以来、今年で俳歴80年になられる。