第四百八十二夜 坪内稔典の「お正月」の句

 今日3月8日は、忠犬ハチ公の死亡した日だという。。調べてみると、生年月日は大正12年11月10日、なんと私の誕生日と同じである。朝から雨催いでちょっと鬱々していたので驚いた。
 
 高校時代から大学まで渋谷駅を利用していたこともあるのでハチ公の銅像は毎日のように見ていたが、銅像の姿は現在とは違っていた。
 忠犬と言われる所以は、飼主だった東京帝大農学部教授の上野英三郎を渋谷駅まで毎日出迎えに行き、1年後に出先で急死した飼主を、これまでと同じように、10年間続けて渋谷駅に行き、じっと待ち、終電になると戻って行ったという。
 現在の渋谷駅からは、犬が綱も付けずにご主人の出迎えに来る光景はとても考えにくい。
 
 ハチ公は、駅を利用する人から大切にされもしたが、子どもから追い回されたりもしたという。
 死んだのは、もうすぐ12歳というから犬の寿命としては十分長寿にあたる。その日も渋谷駅に向かう途中であったが、商店街でついに倒れてしまったという。

 今宵は、犬の俳句を紹介してみよう。

  老犬をまたいで外へお正月  坪内稔典 『ぽぽのあたり』
 (ろうけんを またいでそとへ おしょうがつ)

 犬と猫では、どちらが自由なのだろう、と考えることがある。鎖に繋がれた犬の1日のスケジュールは、オシッコやウンチの散歩が3回、食事が2回、おやつもつい上げてしまう。シャンプーも月3回はする。夜はお母さんのベッドを半分横取りしている。眠る自由はあるが、飼犬は上げ膳据え膳の生き方である。
 
 稔典さん宅の犬も、きっとそうだろう。可愛がられてきた老犬の「うごかない」性がよく見える。稔典さんの方も、老犬のことはわかっているから、「じゃあ、行ってくるよ」と声をかけて、ひょいと跨いで初詣か初句会であろうか、正月の街へと出かけた。【正月・新年】

  繋がれし犬が退屈蝶が飛び  高浜虚子 『六百五十句』
 (つながれし いぬがたいくつ ちょうがとび)

 句意は、繋がれている犬が退屈そうにしていると、犬の鼻先へ、蝶がひらひら飛んできましたよ、となろうか。
 
 虚子庵では犬は飼われていなかったと思う。この作品は、虚子の出席する句会の1つの「草樹会」での作で、当日の兼題は「蝶」だったのだろう。【蝶・春】

  土手を外れ枯野の犬となりゆけり  山口誓子 『遠星』
 (どてをはずれ かれののいぬと なりゆけり)

 句意は、飼犬なのか野犬なのか、土手を歩いていた犬は、土手を離れて向こうの枯野の方へ行ってしまいましたよ、となろうか。
 
 戦後暫くまでは、犬も綱を放されて自由に歩き回り、走り回っていた。飼犬は必ず夕御飯には戻ってくる。放し飼いの犬が通報されて、役所から捕獲の車が出るようになったのは、それほど遠い昔ではない。
 この犬が放たれて、暫くの野生に戻った自由を満喫している姿が「枯野の犬」である。【枯野・冬】

  黒犬の舌のももいろ百日紅  あらきみほ 「花鳥来」
 (くろいぬの したのももいろ さるすべり)

 この黒犬は、足腰が立てなくなった状態で7月8月の40日間を病み、13歳で死んだわが家の黒ラブのオペラのこと。33キロの大型犬の世話は、家族4人が分担しての看取りの日々であった。
 何も食べなくなり、もう最期かもしれないと感じた夜、私が独りで、オペラの側に付いていた。食べ物は受け付けなかったが、何とか生き永らえてという思いがあった。真夏でもあり、砂糖水に氷を入れて、おしぼりで口を濡らしつづけた。息づかいは荒く辛そう。腕枕をしてみると、すこし安心したようであった。氷が切れたので、冷蔵庫に立とうとすると、離れないでくれと「ウーッ」と小さく唸る。
 
 句意は、こうした1夜が開けかかったとき、ついに、動かなくなった瞬間である。真っ黒な黒ラブオペラの口からピンク色の舌がのぞいた、ということだ。【百日紅・夏】
 
 オペラの最期は書きとめておきたかった。忠犬ハチ公の死んだ日に書くことが出来た。