第四百八十五夜 土肥あき子の「水温む」の句

 今宵は、土肥あき子さんの代表作〈水温む鯨が海を選んだ日〉を考えてみようと思う。
 じつは、2月4日の「千夜千句」第四百五十夜で土肥さんの作品の紹介をしていて、この作品が代表作であることも知っていたが、正直、よくわからなかった。
 季語「水温む」を考えているうちに、もう一度考えてみたいと思った。
 
 鯨のことも知っておこうと調べていたら、2年前に茨城県立自然博物館に展示された、大きな鯨の骨の1部を思い出した。また上野の国立科学博物館の屋外にの展示されている、シロナガスクジラの巨大なオブジェも見ていた。
 
 鯨を勝手に捕獲してはいけない国際捕鯨取締条約が決められる前は、鯨の刺身は、ちょっと癖があるが父も夫も好んで食べていた。最近では、魚屋でもあまり見かけなくなっている。

 それでは、鑑賞を試みてみよう。
 
  水温む鯨が海を選んだ日  土肥あき子 『鯨が海を選んだ日』
 (みずぬるむ くじらがうみを えらんだひ)

 句意は、クジラが海を選んだ日というのは、元々は陸地に住んでいたクジラが、何らかの理由で、海に行こうと決めた日であろう、その日は春で、水も温かくなったころでしたよ、となろうか。
 
 私たちの知っているクジラは、大海原で水しぶきを吹き出しながらゆうゆうと泳いでいる姿であり、赤ちゃんクジラが母クジラのおっぱいを呑みながら泳いでいる優しい姿である。だが、クジラは海にいるのに地上に住む哺乳類と同じであることを知った。
 もう少し調べよう。
 掲句には「鯨が海を選んだ」とある。陸上で住んでいたクジラが、何らかの理由で、陸上で住むことができなくなって、海へ入って行ったのであった。
 クジラは、4800万年前の始新世のインド北部のカシミール地方に住んでいた動物が祖先であるともいわれている。地球がまだ大きく変動していた時代に、クジラは、陸から海へと移動したのだろう。
 
 土肥あき子さんの発想の起点は、ゆうゆうと泳いでいる「クジラ」の映像であったかもしれない。その時にクジラのはるかな昔の姿を知ったのかもしれない。

 「海を選んだ日」の表現が凄い。
 本当は、地球の変動期の際に海へ流されたのかもしれないが、クジラの方が海へ行くことを選んだのだと、クジラを主体的に詠んだことで、現在、海の王者である巨体のクジラとなったのだ。
 季語「水温む」からは、温んできた海水のなかに泳ぐクジラの大きな姿が、嬉しそうに見えてくるから短い俳句は不思議だ。
 
 土肥あき子(どい・あきこ)さんは、昭和38年(1963)、静岡県生まれ。「鹿火屋」同人。現在、ネットで『新増殖する俳句歳時記』を俳句鑑賞中。