第四百八十六夜 高浜虚子の「春の宵」の句

 平成11年に、『気象俳句歳時記』を蝸牛社から出版した。著者の平沼洋司氏は気象予報士。中に登場する季節の言葉は、俳句の季題とは又違っていて深くて楽しい。
 毎回の文末に俳句を2、3句付けたのは、私あらきみほであった。
 
 今日は、蘇軾の「雨奇晴好(うきせいこう)」を紹介しよう。辞書で調べると「晴雨とも景色のよいこと」とある。もう少し簡単に言えば「降るもよし、晴るるもよし」である。
 中国の宋代の詩人で「春宵一刻値千金」で有名な「春夜」を書いた蘇軾(そしょく)の詩「飲湖上、初晴後雨」の中にこの言葉があり、芭蕉も『奥の細道』の象潟でこの言葉を連想して〈象潟や雨に西施がねぶの花〉を詠んだという。※蘇軾は蘇東坡(そとうば)ともいう。
 
 「雨と晴れ」天気も台風や雪など日々激しく変化するが、人生も楽しいこと、悲しいこと、苦しいことなどたくさんある。それにくじけることなく生きていくことはなかなか大変だが、それも自然であり、人生である。転勤や卒業、定年など人生の節目の三月はそんな思いが多い月だ。
 
 今宵は、様々な思いを込めて詠む季題の「春の宵」の作品を紹介しよう。
 
 まず、季題「春の宵」を見てみよう。
 春の日が暮れてまだ間もない宵のほどで、秋の夜とは違って、どことなく若々しい和やかさ、明るさ、艶めかしさがあり、色彩的な感じに満ちている。魅惑的な歓楽的な淡い感傷が漂っているようにも感じられる。

  眼つむれば若き我あり春の宵  高浜虚子 『五百句』
 (めつむれば わかきわれあり はるのよい)

 句意は、眼をつむっていると、いつの間にか若々しい自分がいましたよ、このように遠い昔の自分を見る思いがするのは、まだ夕べの名残のような明るさの春の宵だからであろうか。
 
 『五百句』集中の昭和4年4月、虚子55歳の句である。この前年、虚子は大阪毎日新聞講演会で「花鳥諷詠論」を講演している。
 「若き我あり」とは、虚子が何歳くらいの頃であろう。明治35年に正岡子規が亡くなり、河東碧梧桐が新傾向俳句へ進んでしまった頃から、虚子は「ホトトギス」に雑詠欄を設け、守旧派と銘打って、主観から客観の道へと我道を探りつづけた。
 明治の終わりから昭和の初頭まで一途に走りつづけた凡そ20年の日々が「若き我」ではないかと思う。
 
 「ホトトギス」の陣営も整い、力のある作家たちが生まれた。俳句は自然を詠むものであり、その揺るぎない方法論が「花鳥諷詠」であり「客観写生」であったのだ。

  抱けば吾子眠る早さの春の宵  深見けん二 『父子唱和』
 (だけばあこ ねむるはやさの はるのよい)

 句意は、そろそろ眠る時間の吾子を、会社から戻った若き父が待ちかねたように抱くと、あっという間に子は眠ってしまいましたよ、それも春の宵だからでしょうか、となろう。
 
 第1句集『父子唱和』には、吾子誕生として17句が並べて入集されている。2年前の忘年会では、この句の主人公であるご長男が先生の付添で出席されていた。スピーチでは、「〈吾子の口菠薐草のみどり染め〉の吾子が、このわたくしです。」と、愉しい自己紹介をされたが、この作品も17句の中にある。
 
 「眠る早さ」という的確な描写は、春の宵という柔らかな時間、母親とは違う父親の匂いに包まれている安心感、子の健やかさ、こうした全てが相俟って生まれるものではないだろうか。