第四百八十七夜 吉屋信子の「雛祭」の句

 マサコ・ムトーさんの老の言葉を紹介しよう。長女で漫画家のトシコ・ムトー、次女で作詞家、作家のヒロコ・ムトーの母であるが、母マサコ・ムトーもまた、幾多の荒波を乗り越えて88歳で、豆紙人形作家として人生の大輪の花を咲かせた人である。
 夢は叶うもの、叶うものと思い続けるもの、やろうと思いさえすれば、何時からだって、何だってできる! どんな時でも、諦めてはいけない、どんな時でも、何かできることはある、を実現した人である!
 
 お会いすれば、ものしずかな、小さなおばあちゃんだけれど、秘めた内面と、実行してしまうところが凄い!
 ヒロコ・ムトーさんは、大学時代からの友人。いつの間にか、マサコおばあちゃんのファンになっていた。
 
 次の言葉は、ヒロコ・ムトーさんが編纂したもの。75歳となった今、読んでいて殊に心に響いてくる言葉たちだ。
  
  八十六歳
  まだまだヒヨコ
  
  八十七歳
  いつも夢を追っています
  創造している夢を実現したいです
  
  八十八歳
  夢を追うバーバ
  百歳まで続けるつもり
  
  人生はつり橋のよう
  何度も何度も
  ぶるぶる震えながら渡ってきました   『マサコおばあちゃんの名言集』より
  
 今宵は、「老い」を詠み込んだ俳句を紹介してみよう。

  老いてなほ夢多くして雛祭  吉屋信子 『吉屋信子句集』
 (おいてなお ゆめおおくして ひなまつり)  

 句意は、老いた今もなお書きたいものが次から次へと湧いてくるのです。雛段を前にして、今宵も夢を語っているのですよ、となろうか。

 吉屋信子(よしや・のぶこ)は、明治29年栃木県に生まれ、昭和48年77歳で死去、少女小説に始まり『徳川の夫人たち』など多くの著書を持つ作家。私が惹かれたのは、新潮社刊の『底のぬけた柄杓 憂愁の俳人たち』。登場する俳人で知っていたのは杉田久女と村上鬼城だけであったが、俳句にのめり込み、俳句に助けられた人たちに、引き込まれるように読んだ著書である。
 吉屋信子は、石田波郷の「鶴」に投句していたという。『底のぬけた柄杓 憂愁の俳人たち』のあとがきは、後に「鶴」の二代目の主宰となった石塚友二である。【雛祭・春】

  いまもなほ敵は己や老の春  深見けん二 『蝶に会ふ』
 (いまもなお てきはおのれや おいのはる)  

 句意は、これまでもそうであったが、今も尚、私の敵は、自分自身なのだと思っています、となろうか。

 第7句集『蝶に会ふ』は、平成14年の80歳から、86歳までの作品が収録されている。ときに、「老い」という言葉が出てくるが、俳句界で活躍されていた時代である。
 俳句を詠む場合もそうだが、何事もじっくり見て、じっくり考えて、多作する中でじっくり推敲される。
 この句集に〈地に届く時のためらひ木の葉散る〉があるが、葉っぱの「ためらひ」の時間はそう長くはないと思われるが、決して見逃していない。
 掲句は、新年に当たっての己への自重であり、決心であろう。【老の春・新年】