第四百九十一夜 正岡子規の「彼岸の入」の句

 3月17日の今日は彼岸の入である。今年は桜の開花も例年より数日早くて、東京では3月14日に開花宣言された。開花後に冷え込むことは例年のことで、温暖化ということもあるのだろうか、まだ急激な寒さは訪れていない。
 暦の上の彼岸が近づくと毎年のように、正岡子規の「彼岸の入」の句が浮かぶ。

 今宵は、子規の作品をいくつか紹介してみよう。
 
  毎年よ彼岸の入に寒いのは  『子規句集』
 (まいとしよ ひがんのいりに さむいのは)

 句意は、彼岸の入にこうして寒い日となるのは、毎年のことですよ、となろう。
 
 明治26年の作。子規が「もうお彼岸だというのに、いつまでも寒いね。」と言うと、子規の母は、「毎年よ、彼岸の入に寒いのは。」と応えたという。気がつけば五七五の調べであり、17文字になっている。子規は話し言葉そのままでも俳句になると思ったという。
 このような口語調の俳句は当時まだ珍しかったが、皆から受け入れられた。誰もが知っている、誰もが感じる彼岸の入らしい作品だからであろう。
 
 子規は、前年の明治25年に、故郷松山から母と妹の律を東京に呼び寄せた。翌26年には、子規の叔父加藤恒忠の友人であり、子規自身も記者として働いている、日本新聞社長の陸羯南(くが・かつなん)の家の西隣に住むことになった。
 南国の松山と比べると、東京の春の訪れは遅く、母や妹律にとっては3月下旬の彼岸の頃は肌寒く感じられたかもしれない。【彼岸・春】

  薪を割るいもうと一人冬籠  『子規句集』
 (まきをわる いもうとひとり ふゆごもり)

 句意は、真冬になる前の囲炉裏炉や火鉢のために、病気の兄と老母だけの正岡家では妹の律が一人で薪を割っているのですよ、となろう。
 
 明治26年の作、入社して日も浅く若い子規の月給は18円であったという。現在では幾らほどなのか判らないが、親子3人が充分に暮らすだけの給料ではなかった。後に律は、「ですから、毎月の払いが、いつも家賃だけ不足していました。母方の大原や加藤の伯父叔父たちに度々無心を言っていました。」と、碧梧桐に漏らしたという。

 丸太などを適当な大きさの薪用に鉈で切るのが薪割り。若い女手のすることではない力仕事だ。妹律に薪割りをしてもらわなければならない病人子規の、申しわけないという無聊の思い、やるせなさ、妹への感謝の気持ちがないまぜになった措辞が「薪を割るいもうと一人」である。
 俳人である兄として、俳句に詠むということが感謝の意のあらわれである。【冬籠・冬】

  小夜時雨上野を虚子の来つつあらん  『子規句集』
 (さよしぐれ うえのをきょしの きつつあらん)

 句意は、夜になって降り出した時雨の中を、虚子は今、上野の山をぬけてこちらへ向かって来ていることだろう、となろう。

 明治29年の作。現在も子規庵として残されている上野の根岸の家である。子規の家には、虚子や碧梧桐の俳句仲間ばかりでなく、歌人や小説家たちも訪れる。病状が軽い頃には、句会や歌会、さらに、写生文を書く山会(やまかい)もあり、指導もするが子規も作品作りをしていた。
 子規の敷きっぱなしの布団を囲み、食事時間には、母と律が膳の用意をしたという。子規はつねに誰かが居ることが嬉しかった。
 病状が厳しくなると、いつものメンバーたちは代わりばんこに、病人子規を見守った。その中でも、小柄で圧迫感を感じさせない静かな虚子が側にいる日を好んだという。
 「昇(のぼ)さんは清(きよ)さんが一番すきであった」と、亡くなった日、子規の母は親戚の鷹見夫人に言っていた。
 
 今宵は、虚子が来るという。「来つつあらん」によって、いまかいまかと待っている様子が伝わってくる作品となった。。
 
 また、「小夜時雨(さよしぐれ)」には、(a、o、i、u、e)と、きらめく母音を冠りに一句が芝居仕立てに詠まれていると、『子規秀句考』で宮坂静生氏は指摘している。【時雨・冬】
 
  痒からう寒からう人に会ひたかろう  『子規句集』
 (かゆかろう さむかろう ひとにあいたかろう)

 句意は、天然痘で入院した碧梧桐への見舞いの句である。痒いだろうね、寒いだろうね、見舞客禁止だから、きっと人に会いたいだろうね、となろうか。

 明治30年1月、天然痘を病んだ碧梧桐は、神田の神保病院の避病舎へ入院した。軽症でじきに熱もさめ、せっせと痘痕を剥がし痘痕が取れるると1月ほどで退院となった。すぐに退院の挨拶をしに根岸の子規庵へ行くと、同じ病気をした夏目漱石の顔を想像しておられたのだろうか、「痘疽をして却って綺麗におなりた、と正岡母堂に笑われた。
 
 この作品も、1句目に紹介した〈毎年よ彼岸の入に寒いのは〉と同じく、呟きを俳句にしたようなもので、調べがよく、相手の心にすっと入り込む。ことに「痒からう」「寒からう」「人に会ひたからう」という、思いやりに満ちた言葉の3つは嬉しいに決まっている。子規の双璧の弟子と言われながら、子規は虚子の方を大事にしていると思い込んでいたから、碧梧桐は嬉しかった。【寒さ・冬】
 
 男同士の世界も難しいものだと、子規、虚子、碧梧桐の中に感じるものがある。