第四百九十四夜 篠原清作の「凧(たこ)」の句

 今日3月20日は、春分の日、お彼岸の中日である。雨が今にも降り出しそうな静かな日となった。秩父にあるお墓には、年一回、天気のよい日にドライブ気分で墓参りに行くことにしている。今年も去年のように秋の頃に行こう。お仏壇には庭の黄水仙を活け、母の好きなぼた餅の横には父へ一杯のお酒を並べた。
 
 春になると、野原や河川敷などで凧揚げ風景があったが、今も凧揚げは男の子の楽しみなのだろうか。
 茨城県に転居したばかりの頃、近くに利根川があり大きな河川敷があり、東京では見ることの叶わなかった催し物を見に行った。新年の10日頃、河川敷では昼の「凧揚げ大会」、夜の「どんど焼き」が行われた。
 「凧揚げ」も「どんど焼き」も、初めて取り組んだ季題であった。でき上がって提出すると、「凧揚げの句を発表するのは、春号ですよ」と言われたが、私は新しい季題を存分に楽しむことができた。
 
 春の季題「凧」は「たこ」「いかのぼり」ともいう。
 
 今宵は、「凧」「凧揚げ」の句を紹介してみよう。
 
  落ちてゆく凧の安らぎ空の青  篠原清作 『一億人のための辞世の句』
 (おちてゆく たこのやすらぎ 空の青)

 句意は、凧の糸にはガラスの破片のビードロが塗られている。その凧と隣の凧がぶつかり合って、糸が切られて落ちた方が負けとなる。ビードロが切られ、ふわふわと空を舞い落ちてゆく凧は、青空の彼方に、きっと安らぎを見ていたに違いない、となろうか。
 
 掲句は、長崎の人。長崎には「凧上げ(はたあげ)」といい、独特の凧合戦(はたがっせん)がある。凧は、オランダの国旗をイメージさせる青・赤・白の絵柄。凧を結ぶ5メートルほどの糸にはビードロが塗られ、空高く上げて、隣の凧とぶつけ合う。

 どちらかが糸を切られて、ひらひらと落ちてゆく。作者は、この切られた凧となった。
 このとき凧は、「安らぎ」の中にあるという。そうなのだ。この凧にはもはや争いはなく、誰のものでもない。落ちた風に所有権はなく拾った人がまた糸につないで凧揚げ合戦に参加する。まるで輪廻転生のように、まったく別の人の所有物として――。
 青い空を「落ちてゆく凧」に、一瞬の安らぎを見る作者。
 
  煩悩の尾をひらひらと奴凧  山口青邨 『寒竹風松』
 (ぼんのうの おをひらひらと やっこだこ)

 句意は、奴をかたどった凧に付いているのは「しっぽ」と言うそうだ。つまり「尾」。「奴」は下僕で人である。奴に付いていて困ったことにならないようにバランスをとっているのが煩悩の尾だという。天に上がっている凧にも煩悩があり、尾でバランスをとっているのですよ、となろうか。
 
 「奴凧」は、奴が筒袖を着て両腕を伸ばした格好の作った凧。使われる身である奴であればこそ煩悩の渦があるだろう。「煩悩の尾のひらひらと」は、上手く捉えた表現である。

  凧なにもて死なむあがるべし  中村苑子
 (いかのぼり なにもてしなむ あがるべし)

 句意は、凧よ、死ぬときは何をもってゆこうというのか、本来無一物ではないか、そうなのだ、凧よ、ひたすら上へ上へとあがっていくべきなのだ、となろうか。

 凧の使命はひたすら風に乗って大空へ上がってゆくことで、落ちるときが死ぬときなのだ、と、中村苑子は詠んだのだろう。
 蝸牛社刊の『私の風景』は、叶うならばこう詠んだ理由を知りたいというのが、俳句・背景シリーズ出版の意図であった。ところが、中村苑子氏は句の背景は何一つ書かれていなかった。私は、死をイメージする苑子作品にずっと憧れていた。しかし掲句は暫くは理解できなかった。

 『私の風景』には、「女の子なのに、どういうわけか凧揚げが好きで、小さい男の子をお供に連れては、日がな一日、野原で凧を揚げていた。(略)後年、自分にとって”生きるとは何だろう”と、考える機会があって、この、凧を揚げていた頃の、満ち足りて豊かだった心に優るものは、他に何一つ無かった、と、あらためて思った。」とあった。

 今回、改めてこの句に触れてみると、中心は死ではなく、下五の「あがるべし」ではないかと思った。その時やっと理解できた。