第四百九十八夜 ホトトギスの大正時代「写生から客観写生」 第4日・客観写生時代

 大正4年4月から6年8月まで虚子は、明治45年(大正元年)に再開した雑詠欄の、創設以降の巻頭作家から32人の各人評を「ホトトギス」に「進むべき俳句の道」と題した連載で作家論を書いた。その作家論は、「ホトトギス」の花形作家として、丁寧な人物紹介と作品鑑賞をし、各人の主観の特徴を挙げ、的確な道を作家たちに示したものであった。
 主な作家は、渡辺水巴、原石鼎、前田普羅、飯田蛇笏、村上鬼城、長谷川かな女など。それぞれ個性ある作家たちが誕生した。
 当時は、雑詠欄の巻頭に選ばれることは大きな名誉であった。さらに、虚子から行き届いた論評をされたのであるから、まさに俳人として太鼓判を押されたようなものである。
 
 今宵は、まず「ホトトギス」第1次黄金期の作家の作品と虚子の鑑賞を紹介しよう。
 
  櫛買へば簪がこびる夜寒かな  渡辺水巴 
 (くしかえば かんざしがこびる よさむかな)

 水巴(すいは)の江戸趣味は父・日本画家省亭の血筋。陳列してある簪が買ってもらいたそうに見えたことを「簪がこびる」と詠んだ。「無情のものを有情に見る」ことが水巴の特色。「曲水」主宰。

  淋しさやに又銅鑼うつや鹿火屋守  原 石鼎
 (さびしさや またどらうつや かびやもり) 

 鹿火屋(かびや)とは、夜田畑を荒らす鹿や猪を防ぐために火を焚き銅鑼の音で脅す小屋。兄の療養所のある吉野の山中から投句した作品。石鼎(せきてい)は虚子から「豪華跌宕(ごうかてっとう)」と言われた。「鹿火屋」主宰。

  しみじみと日を吸ふ柿の静かな  前田普羅
 (しみじみと ひをすうかきの しずかかな)

 「大正二年の俳句界に二の新人を得たり。曰く普羅。曰く石鼎」と虚子はいい、普羅の句の特徴を「簡素、雄勁」とした。「日を吸ふ」の句は、秋の日を静かに吸ったから柿が赤くなったようだ。「辛夷」主宰。

  或夜月に富士大形の寒さかな  飯田蛇笏
 (あるよつきに ふじおおぎょうの さむさかな)

 蛇笏(だこつ)は、甲斐の方からは裏富士が間近な山国に住んでいる。或夜ふと月を見上げると月光を浴びた富士山は黒々と大形に聳えている。不気味な富士の大きさが月明かりに寒々しい。「雲母」主宰。

  冬蜂の死にどころなく歩きけり  村上鬼城
 (ふゆばちの しにどころなく あるきけり)

 鬼城(きじょう)を、「主観に根ざしているものが多いに拘わらず、客観の研究が充分に行き届いていて、写生におろそかでない」と虚子は強調した。境涯句に強さを持たせるのも客観描写である。耳疾(じしつ)で「境涯の俳人」。

 しかし虚子が、「進むべき俳句の道」により各人の「主観」を称揚したことで、雑詠欄に投句してくる作品には安易な主観句が増えてきた。それを見た虚子は、次の段階として、写生から、とくに客観写生を唱導してゆく。
 虚子は、写生を唱導してゆく場合は自らも写生句を作り、客観写生を唱導し始めると自ら率先して客観写生句を作る。

 今宵は、もう1つ、深見けん二の作品から「客観写生」を考えてみよう。
 
 日東書院刊の『図説・俳句』は、深見けん二先生に推薦を頂いた著で、筆者はあらきみほである。子規以降の伝統的・前衛的な現代俳句の流れを俯瞰したものである。この中に、高浜虚子の「花鳥諷詠」「客観写生」を知りたかったこともあって、深見けん二の作品について直接インタビューするコーナーを設けた。
 「紅梅」の作品は好きな句で、「千夜千句」でも2度目の登場となる。『図説・俳句』の[深見けん二インタビュー]から、この作品の解説とともに「客観写生」のお考えを転載させていただくことにする。
 
  紅梅の蕊ふるはせて風にあり  深見けん二
 (こうばいの しべふるはせて かぜにあり)

 けん二――――早春の、まだ風の冷たい日でした。数輪しか咲いていない紅梅に立ち、ずっと眺めていましたら、梅の蕊――これは長くて目立ちますが、その蕊がかすかに揺れているのが目に止まりました。それほど風の強い日ではありません。見上げる高さの一輪の梅の蕊が揺れるほどです。「風が冷たい」「梅が寒そう」と詠めば、単純な主観になります。そこで、蕊が震えている、という事実だけを具体的に詠みました。写生にも主観と客観がありますが、客観写生というのは心に具体的に受けとめて、言葉に言いとめることをいいます。(略)
 この句では、蕊の先がかすかに震えていた事実のみに焦点を当てて、その他の全てを大胆に省略してしまうことが省略なのです。
 また、余韻というのは、多くのもの、複雑なものから省略することなのです。俳句はもとより詩なのです。心には溢れるような情がなければなりませんし、多くの知識、体験を持っている作者の句ほど、俳句に広さと深さが出ます。