第四十九夜 古澤太穂の「にんじん」の句

  ロシア映画みてきて冬のにんじん太し  古澤太穂
 
 鑑賞をしてみよう。
 
 太穂が観たのはどんなロシア映画だったのだろう、たとえば「戦争と平和」でも「アンナ・カレーニナ」でも、ロシア帝国から社会主義国家への転換期を描いた作品であり、ロシアの自然は広大で、広々とした農地で耕作する逞しい人たちの姿があった。
 映画を観たあと、太穂が家に戻ると、これからシチューに煮込むのであろうか、台所には太いにんじんが置かれていた。にんじんは、冬の季題。そして家庭菜園で育てるには中々に難しいもの。太く長いにんじんを我が家の夫の菜園で成功したことはない。「にんじん太し」は豊かな大地とお百姓さんの勲章のような言葉である。
 
 古澤太穂(ふるさわたいほ)は、大正二(1913)年富山市の生まれ。東京外国語大学ロシア語学科卒。俳句は「馬酔木」を経て「寒雷」の創刊に参加し加藤楸邨に師事する。戦後は「新俳句人連盟」に参加。昭和二十年代後半の社会性俳句運動では、内灘基地闘争の参加体験を詠み、社会性俳句の代表作家。昭和二十五年に「道標」を創刊主宰。
 もう一句、内灘基地闘争の作品を紹介しよう。
 
  白蓮白シャツ彼我ひるがへり内灘へ
 
 十七文字をはるかに越えた字余りの作品である。内灘砂丘の米軍の砲弾試射場建設に反対して集った白シャツ姿の男たちの闘争を詠んでいるが、字余りだからこそ描かれた闘争の激しさとも言える。
 「白蓮」を季語として用いたのかどうかわからないが、しかし、この闘争の正義の心を表しているのだと思った。

 歴史に詳しいわけではないが、世界大戦の前後の昭和十年代から二十年代後半の頃は、ロシアではスターリンの農業政策の五カ年計画がうまくいっていた時代である。
 私の父も、太穂と同じ東京外国語大学ロシア語学科卒で、共産党員であった。書棚にはロシア文学関連が並び、雑誌にはロシアのコルホーズ(集団化農業)で生き生きと働く労働者の写真が掲載されていた。小学校低学年の頃、父に連れられてデモに行ったこともあった。

 今夜は掲句を鑑賞すると決めて、当時を思い出している。「新俳句人連盟」にも所属した俳人であった父は晩年、句集を出版した。

  寒鴉老マルキストに一句集  あらきみほ