第五十夜 木下夕爾の「雪」の句

  地の雪と貨車のかづきてきし雪と  木下夕爾
 
 句意は次のようであろうか。

 「私の住む地にも雪が積もっている。目の前を貨車が通過する。その屋根には雪が載ったままである。どこで降った雪を被ってきたのだろう。この地の雪と、山地から走ってきた貨車の上の雪と、今ここに、二つの雪を見ていますよ。」

 鑑賞をしてみよう。

 まず、「地の雪と」「貨車のかづきてきし雪と」と、異なる地に降った二つの雪の出会いに気づいた夕爾は、並列にシンプルに、具体的な描写のみで言い留めたところに凄さを感じた。「かづく」は「被く」で「頭にかぶる」という意味だが、「雪をかぶってきた」とは何とも愛いらしい表現である。
 都会でも雪を載せたまま走っている貨物列車を見ると、ふっと違う匂いを感じることがある。雪は、大気中の水蒸気から生成される氷の結晶が空から落下してくる氷晶単体である雪片のこと。
 夕爾の感じた二つの雪の不思議さは、見た目の愛らしさとともに、この地の大気と貨車が通ってきた雪の大気の違いからくる匂いだったのかもしれない。
 
 木下夕爾(きのしたゆうじ)は、大正三(1914)年、広島県福山市生まれ。詩人・俳人。中学時代から詩作を始め、堀口大學に認められる。俳句は、第二次大戦後に久保田万太郎の「春燈」で始める。
 師の万太郎は人間往来を詠むが、夕爾の作品は、瀬戸内という生地の風土がそうさせるのか、自然を優しい眼差しで詠むことが多い。
 
 もう一句、代表作を紹介する。
 
  水ぐるまひかりやまずよ蕗の薹  『定本木下夕爾句集』
 
 水車小屋の水車の役目は、春になると田に水を引き入れることである。水車は回りながら水を汲み上げては田に流すが、一日中、春の光も一緒に散らしている。これが「ひかりやまずよ」である。辺りにはもう蕗の薹が芽吹いている。「蕗の薹」も早春を彩る一つだ。