第五百十一夜 高浜虚子の「親雀」の句

 わが家の前の電線や庭の大きくなった黄楊(つげ)の木から、このところ雀の短い鳴き声がずっと聞こえている。朝の目覚めの頃なのでありがたいが、雀の子がいるのだろうか。
 鳴き声の方を探してみるが、春は雀も子育て中なのか用心しているのか、姿を見ることはない。春に生まれた子雀は初夏の頃までは、親雀から虫などの餌を口に入れてもらって育つ。

 今宵は、子雀と親雀を詠んだ作品を見てみよう。

  親雀人を恐れて見せにけり  高浜虚子 『六百五十句』
 (おやすずめ ひとをおそれて みせにけり)

 句意は、子育て中の親雀が子雀に、人間は怖いから気をつけるのよ、という姿を教えていますが、1つ1つ具体的な対処法を教えていましたよ、となるだろうか。
 
 どうやって親雀は子雀に「人を恐れて見せる」を教えるのかわからないが、例えば、子雀が不用心に人間の子どもに近づくと、すぐさま飛んできて「危ないよ」というサインの鳴き声を発し、大人が近づくと「早く逃げなさい」というサインを出すという方法だろう。
 1つ1つ具体的な場で鳴き声を立てて知らせることが教えである。
 
 雀は1週間ほどで卵から孵り、さらに1週間ほどで飛べるようになる。2週間も経てば巣立ちとなる。この短期間に親雀は子雀に、食べ物の捕え方、大きな鳥や獣から逃げる方法、人間も怖いものであると教える。
 現在はどうなのか知らないが、かつては雀を捕えて、焼き鳥として売られていたという。だから、掲句の「親雀の教え」は重要なことであった。昭和23年、戦後間もない頃の作品である。
 
 虚子が昭和11年にヨーロッパ旅行をした折、ロンドンでは日本人会でスピーチをし、キューガーデンにも遊んだ。その時に詠んだ句が〈雀等も人を恐れぬ国の春〉で、現在、キューガーデンの日本庭園に句碑となっている。
 当時大英帝国は世界中に植民地があり、日の沈まない国と言われていた。ロンドンの雀たちも、そうした恩恵の元で、人間に食べられる恐怖もなく、のびのびと囀っていたというのだ。
 
  雀の子そこのけそこのけ御馬が通る  小林一茶 『おらが春』
 (すずめのこ そこのけそこのけ おうまがとおる)

 句意は、雀の子よ、どきなさい、いまお馬が通るのだから、あぶないよ、と人間の子が雀の子に話しかけていますよ、となろうか。
 
 「それ馬が馬がやといふ親雀」(七番日記)が発想の原型か。」と、宮坂静生先生は、著書『蝸牛俳句文庫29 小林一茶』の中で考察している。
  
「お馬が通る、そこのけそこのけ」は、大名行列が人払いに言う言葉を子どもが遊びにとり入れた。子どもが竹馬か玩具のお馬で遊んでいるときに、無心に餌を啄んでいる雀の子に呼びかけたのが「そこのけそこのけ御馬が通る」であったという。
 子の心も、親雀が子雀を心配している心と同じであった。

  雀の巣かの紅絲をまじへをらむ  橋本多佳子 『紅絲(こうし)』
 (すずめのす かのこうしを まじえおらん)

 句意は、この雀の巣は、拾ってきた藁に交じって、あの縁結びの赤い糸も一緒に巣の藁に交ぜて使われているのではないか、となろう。

 「紅絲」は「こうし」と読む。赤い糸のことで、「運命の赤い糸」などと言われ男女の縁をとり結ぶ紐であり、結ばれる2人の赤い糸は決して切れることはないという。
 だが、結ばれるはずの2人は破局し、赤い糸は落ちていた。この雀の巣は、拾った赤い糸を巣藁に交えて使われているのではないだろうか。雀の巣は結ばれた2羽の作る巣で、これから卵を産み雛を育てる大事な巣だ。
 
 作者の橋本多佳子は、落ちていた縁起の悪い「紅絲」を、雀の新居の巣作りに使われていなければいいのにと、親心のような心配をしている。