春雨は、『三冊子』には「春雨は小止みなく、いつまでも降り続くやうにする、三月をいふ。二月末よりも用ふるなり。正月・二月初めを春の雨となり。」とあり、静かにしとしとと降り続く晩春の雨が春雨である。草木の芽を育て、花の莟を膨らます雨で、独特の優艶な趣をもつ。
一方、春の雨は、三春に用いられる。
だが、近年は昔よりも春の雨量が減っているような気がしている。50年前の学生時代は、春にはレインコートも長靴も雨傘も、お洒落の1つとして幾通りか揃えていた。
気象学的にも雨量の減少が言われているが、なにしろ科学の時代になっても「雨は天からのもらいもの」が実情である。
今宵は、「春雨」「春の雨」の句を見てみよう。
古傘のいまわが春雨傘となる 山口青邨 『寒竹風松』
(ふるかさの いまわが はるさめがさとなる)
句意は、この古傘も、使われ方によっては春雨傘にもなるのですよ、となろうか。
たとえば、学校帰りでも仕事帰りでもいい。玄関を出ると急に雨が降ってきた。知り合いが傘を持っていない場合であれば、男性でも女性でも傘をさしかけてくれることもある。
今でも覚えているのは大学1年生の時だ。渋谷駅を出るとかなりの雨であった。部活の先輩が通りかかった。その男性はガールフレンドといつも一緒なのにその日は1人であった。先輩は「濡れるから入れよ」と傘をさしかけた。さらに、彼女と同じように、濡れないようにと肩を抱き寄せたのだ。1年生の私は驚いたが、先輩にとっては女性にしている普通のエスコートだったのだ。
50年前のことを覚えているのだから、なんだか嬉しい春雨傘であったにちがいない。
春雨のかくまで暗くなるものか 高浜虚子 『六百五十句』
(はるさめの かくまでくらく なるものか)
句意は、春雨というのは、これほどに空も辺りも暗くして降る雨なのだろうか、となろうか。
この作品は、昭和22年4月19日、小諸で詠んだもので「玉藻五句集」に出した作。中七の「かくまで暗く」は、蓼科山や浅間山などの囲まれた地であることもあろうが、雨が降ると辺りは暗くなる。
当日、同時に詠まれた3句は「句日記」にも『六百五十句』にも、次のように並べて掲載されている。
1・春雨の相合傘の柄漏りかな
(はるさめの あいあいがさの えもりかな)
2・春雨のかくまで暗くなるものか
(はるさめの かくまでくらく なるものか)
3・恋めきて男女はだしや春の雨
(こいめきて なんにょはだしや はるのあめ)
1句目、春雨のなか2人は相合傘をさしていますが、傘に穴が開いていて漏れるのか、柄から雨がしたたっている。
2句目は、すでに紹介しているが、辺りが暗くなるほどの春霖のざあざあぶりである。
3句目、きっと下駄もびしょ濡れになっているし、歩きにくいので、相合傘の2人は、ついに裸足になってしまった。これでは、まるで恋人同士のようではないか。
「春雨」の題詠で詠まれたのであろうが、それにしても虚子の題詠での作品は、3句を並べて鑑賞してみると、まさに艶な物語のように詠まれている。
虚子が小諸に疎開してくるのは昭和19年9月であるが、前年には、俳句の弟子の森田愛子を三国へ病気見舞いに訪れてをり、後に、病死してしまった美しい弟子の愛子を主人公にした『虹』を写生文にしている。
昭和22年は、小諸で『句日記』(昭和16年から20年まで)、第3句集『六百句』を仕上げて刊行した。小諸を引き上げて鎌倉の自宅へ戻ったのは足掛け4年ぶりであった。