第五百十六夜 山口青邨の「春雨傘」の句

 春雨は、『三冊子』には「春雨は小止みなく、いつまでも降り続くやうにする、三月をいふ。二月末よりも用ふるなり。正月・二月初めを春の雨となり。」とあり、静かにしとしとと降り続く晩春の雨が春雨である。草木の芽を育て、花の莟を膨らます雨で、独特の優艶な趣をもつ。
 一方、春の雨は、三春に用いられる。
 
 だが、近年は昔よりも春の雨量が減っているような気がしている。50年前の学生時代は、春にはレインコートも長靴も雨傘も、お洒落の1つとして幾通りか揃えていた。
 気象学的にも雨量の減少が言われているが、なにしろ科学の時代になっても「雨は天からのもらいもの」が実情である。
 
 今宵は、「春雨」「春の雨」の句を見てみよう。

  古傘のいまわが春雨傘となる  山口青邨 『寒竹風松』
 (ふるかさの いまわが はるさめがさとなる)

 句意は、この古傘も、使われ方によっては春雨傘にもなるのですよ、となろうか。
 
 たとえば、学校帰りでも仕事帰りでもいい。玄関を出ると急に雨が降ってきた。知り合いが傘を持っていない場合であれば、男性でも女性でも傘をさしかけてくれることもある。
 今でも覚えているのは大学1年生の時だ。渋谷駅を出るとかなりの雨であった。部活の先輩が通りかかった。その男性はガールフレンドといつも一緒なのにその日は1人であった。先輩は「濡れるから入れよ」と傘をさしかけた。さらに、彼女と同じように、濡れないようにと肩を抱き寄せたのだ。1年生の私は驚いたが、先輩にとっては女性にしている普通のエスコートだったのだ。
 50年前のことを覚えているのだから、なんだか嬉しい春雨傘であったにちがいない。

  春雨のかくまで暗くなるものか  高浜虚子 『六百五十句』
 (はるさめの かくまでくらく なるものか)

 句意は、春雨というのは、これほどに空も辺りも暗くして降る雨なのだろうか、となろうか。
 
 この作品は、昭和22年4月19日、小諸で詠んだもので「玉藻五句集」に出した作。中七の「かくまで暗く」は、蓼科山や浅間山などの囲まれた地であることもあろうが、雨が降ると辺りは暗くなる。
 当日、同時に詠まれた3句は「句日記」にも『六百五十句』にも、次のように並べて掲載されている。
 
 1・春雨の相合傘の柄漏りかな
 (はるさめの あいあいがさの えもりかな)
 
 2・春雨のかくまで暗くなるものか
 (はるさめの かくまでくらく なるものか)
 
 3・恋めきて男女はだしや春の雨
 (こいめきて なんにょはだしや はるのあめ)
 
 1句目、春雨のなか2人は相合傘をさしていますが、傘に穴が開いていて漏れるのか、柄から雨がしたたっている。
 2句目は、すでに紹介しているが、辺りが暗くなるほどの春霖のざあざあぶりである。
 3句目、きっと下駄もびしょ濡れになっているし、歩きにくいので、相合傘の2人は、ついに裸足になってしまった。これでは、まるで恋人同士のようではないか。
 
 「春雨」の題詠で詠まれたのであろうが、それにしても虚子の題詠での作品は、3句を並べて鑑賞してみると、まさに艶な物語のように詠まれている。
 
 虚子が小諸に疎開してくるのは昭和19年9月であるが、前年には、俳句の弟子の森田愛子を三国へ病気見舞いに訪れてをり、後に、病死してしまった美しい弟子の愛子を主人公にした『虹』を写生文にしている。
 
 昭和22年は、小諸で『句日記』(昭和16年から20年まで)、第3句集『六百句』を仕上げて刊行した。小諸を引き上げて鎌倉の自宅へ戻ったのは足掛け4年ぶりであった。