第五百十七夜 金澤杏子さんの「蟻」の句

 平成29年4月の例会で、「句集、何時出るの?」とお聞きしたら「シーっ!」と仰った杏子さん。ところが、翌々日の月曜日には句集が届いた。驚いたがすぐに読み、忽ち引き込まれた。どの作品も、笑顔、眼差し、話しぶり、物腰の軟らかさ大らかさが感じられ、時にエスプリの効いている作品は、まさに杏子さんそのものであった。
 ゆったりした的確な描写によって、感性のよい言葉によって、品の良い格調の高い調べによって、読み手の私に語り掛けてくる句集『鷹翔てり』であった。集中の〈袴着の走れば背ナの鷹翔てり〉からの命名である。

 今宵は、金澤杏子さんの第1句集『鷹翔てり』より紹介させて頂く。

  木洩れ日や蟻影となり蟻となり
 (こもれびや ありかげとなり ありとなり)
 
 句意は、木漏れ日の中で、木漏れ日がうごき蟻がうごいている。蟻は木漏れ日の影となり、木漏れ日を逸れると蟻の姿となって動いているのですよ、となろうか。
 
 句を解いてみると難しい作品だが、木洩れ日にうごく蟻は影をもち、木洩れ日の光から外れると蟻そのものがうごいているということであろう

  天絞る雪吊りに雪しまきけり
 (てんしぼる ゆきつりにゆき しまきけり)
 
 句意は、天が絞った雪吊りに、いま、激しく風に舞う雪がさかんに降ってきていますよ、となろうか。
 
 「花鳥来」吟行では、12月に小石川後楽園に行くことが多いが、門を入った直ぐの池に松の雪吊りを見ることができる。松の木のてっぺんから縄を幾重にも垂らして、雪が降っても折れないように枝を護るように作られている。
 
 だが、上五の「天絞る」には参った! 「天が絞った」のか「天を絞った」のか、どちらにも考えられそうだが、飛躍した言葉には説得力があり、句姿よく調べよく仕上がった作品には、それだけでも魅力的である。

  始まりはコーヒールンバ榾火爆ぜ
 (はじまりは コーヒールンバ ほだびはぜ)
 
 句意は、榾火の爆ぜているのは、別荘での焚き火を囲むラジオで聴いたのか、焚き火を囲んだフォークダンスであったのか、1番初めの曲はコーヒー・ルンバでしたよ、となろうか。
 
 ルンバとかジルバのリズムは、戦後の学生時代を過ごした同年代のわれわれには、すぐにでも踊りたくなるような心弾む楽曲である。

 次に紹介するのは、信州に別荘を建て畑作りもし、第2の人生を楽しまれている杏子さんを見てみよう。

 1・宣告も完治も突と夏果てぬ
 (せんこくも かんちもとつと なつはてぬ)
 
 2・星月夜絵本のやうに小屋浮かべ
 (ほしづくよ えほんのように こやうかべ)
 
 3・ダリア咲くここは四賀村金井郷
 (だりあさく ここはしがむら かないごう)
  
 1句目、御主人様のご病気は驚かれたであろうが、よかったです! そして作品は、情に流されることなく格調高く詠まれていることで、妻である杏子さんの心細さ、心配、安堵の気持ちが余すことなく表現されている。
 いつか句会の帰りに、〈シェフとなる夫褒めらるる敬老日〉の句に触れて「今日の夕ご飯はご主人がしてくれるの」と仰っていたが、ワインに合う洒落たメニューだったのではないだろうか。

 2句目、少し遠くから眺めた別荘は、東京から夜分に到着した時の光景にちがいない。「絵本のやうな小屋浮かべ」から、第2の人生に選ばれたこの地での生活を愛おしく思っていることが伝わってくる。

 3句目、季題「ダリア」によって、どれほど信州での暮らしが素晴らしさ、四賀村金井郷での生活を誇らしく思っていることか・・見事な作品である。

金澤杏子(かなざわ・きょうこ)は、昭和18年3月3日、東京生まれ。俳句はホトトギス同人の河野美奇先生の句会に始まり、光が丘のNHKカルチャーセンターの深見けん二教室を経て、平成14年、深見けん二主宰「花鳥来」に入会、師事する。