第五百十八夜 高浜虚子の「春の闇」の句

 今日は季題「春の闇」を考えてみよう。春の夜は、水蒸気を含んで朧になり、夜気も肌にやわらかく、何とも艶である。暮れる時間もだんだん遅くなる。電球を灯していた頃は、電燈の笠の下は明るいが、天井の方は薄暗かったし、周りは薄暗かった。
 春の闇は、元々は「春の夜の闇」で、つづめて「春の闇」となったという。屋内でも屋外にも使われる。
 
 歳時記や季寄せには、「春の闇」という季題を立てていないものもある。その場合は「春」が季題である。
 
 今宵は、「春の闇」の作品をみてみよう。
 
 1・灯をともす指の間の春の闇  『七百五十句』 昭和34年
 (ひをともす ゆびのあわいの はるのやみ)

 2・灯をともす掌にある春の闇  『七百五十句』
 (ひをともす てのひらにある はるのやみ)

 3・テーブルの下椅子の下春の闇  『七百五十句』
 (テーブルのした いすのした はるのやみ)

 3句ともに、昭和34年2月28日、虚子が亡くなる1と月前の作である。如月会(きさらぎかい)というのは、家庭裁判所の調停委員や判事さんたちの句会で、この日は、花寺として名高い鎌倉光則寺前の和光という料亭で行われた。この料亭は戦前吉田五十八氏の設計の邸あとで、家も庭もよく出来ていたという。
 当日の作品は、「句日記」には8句あるが、紹介する3句は別の「句帳」からのものである。
 「春の闇」は、兼題かもしれない。あるいは、句会に出した句ではなく、句会から戻ってからの作品かもしれない。
 
 1句目、電灯の下で自分の手をながめると、それぞれの指の間が黒々として見える。2句目の「掌(てのひら)」にも、やはり、黒々とした影がある。3句目の「テーブルの下椅子の下」は、黒い影というよりも広さのある暗さとして感じる。
 
 小学校の頃には電球を点けていたので、家の中でも様々は影が濃かったように覚えている。
 虚子の詠んだ「春の闇」は、潤んだしろじろとした光のある情感のある闇としてではない。3句並べてみると、見たままに情を込めずにクールに黒や暗さを捉えているように思われてきた。

 もう1句、中村草田男の「春の闇」の作品をみてみよう。

  春の闇幼きおそれふと復る  中村草田男 『長子』
 (はるのやみ おさなきおそれ ふとかえる)

 句意は、帰郷した折の春の宵には、昔のことが様々に思い出されます。これは幼年時代に味わった病院での恐怖感がふっと蘇ってきたのですよ、となろうか。
 
 第1句集『長子』の冒頭に並べた「帰郷」28句の中の作である。草田男は、東大独文科に入学して西欧の文学に親しみ、ニーチェ、ヘルダーリン、チェーホフ、ドストエフスキー等の作家たちに興味を持ち、独特な感性と強烈な思想に影響をうけた。
 幼い時代から青春時代の永い思想彷徨の末、しばしば神経衰弱にかかった草田男は、行き詰まった精神生活の打開の道として俳句を選んだ。
 
 この作品では、当時の事を詠んではいるが、もはや悲愴な悔恨はない。季題「春の闇」から、春の夜のやわらかな気分が伝わってくる。