第五百二十三夜 山口青邨の「春陰(しゅんいん)」の句

 春陰と花曇はかなり似ているので、作句する時も鑑賞する時もむつかしいのだが、違いを考えてみよう。
 「春陰」は、春は曇りがちでうっとうしい天気がつづくこと。春陰は花曇と似ているが、花のイメージをはなれるので、さらに幅広く、たとえば心象的にも使われる季題となっているという。
 「花曇」は、桜の花が満開のころは、とかく天候が定まらず、くずれがちで、どんよりと曇っている、このころの天候そのものをいう。
 また「鳥雲」という季題があるが、ニュアンスが違っていて、春になって渡り鳥が北へ帰ってゆくころの曇り空のことである。
 
 今宵は、「春陰」と「花曇」の作品をみてゆこう。
 
 ■「春陰」の句
 
  春陰や大濤の表裏となる  山口青邨 『乾燥花』
 (しゅんいんや おおなみの おもてうらとなる) ▪やまぐち・せいそん

 句意は、すこし曇ったような日、熱海の高台から眺めた景である。大きな高い波がやってきては崩れ落ちる景である。大きな波が天辺に登るかのごとく進んでくるが、頂点に来ると、今度はこちら側へと傾いで勢いよく滑り落ちてくる。このように大波には表の登りと裏の下りの2面があるのですよ、となろうか。
 
 青邨は、果てしなくつづく大波の動きを、飽かず眺めている。自句自解『山口青邨集』の中で次のように述べている。
 「じっとそういう波を眺めているとうっとりするような気持ちになることがある。何も考えないでそういう現象だけを見ている時こんな気持になる。そのうちに自分がその波に乗っているような錯覚に陥る。
 大きい波は初めはむこう側が光が強くみどり色に明るく輝いているが、頂点に達して今度はこっち側へ傾いてすすんでくる。そういう波が次々と来る。沖側と岸側と波の面に表裏がある。つまり明暗がある。」という。
 
 この句を詠んだ昭和29年のころは、まだ、サーフィンは流行っていなかったと思われるが、青邨の感じた波は、まさにサーファーたちが乗りにゆく波の表裏であり、スリル満点の明暗と同じに違いないと思った。
 
 ■「花曇」の句
 
  ゆで卵むけばかがやく花曇  中村汀女 『新歳時記』平井照敏編
 (ゆでたまご むけばかがやく はなぐもり) ▪なかむら・ていじょ

 句意は、桜が満開のころのどんよりとした曇り日には、つるりと剥いたゆで卵はことに白く輝いて見えるようですよ、となろうか。
 
 この作品は、「五七・五」の形で、「ゆで卵むけばかがやく」で切れ、「花曇」は結句である。この二句一章はどんよりした曇り空ではあるが満開の花を背景とした曇り日と、ゆで卵の剥きたてのつるつるした白の輝きとの対比であろう。
 私が掲句から感じたものは、春の明るくはつらつとした喜びであるが、どうだろうか。

  をとといもきのふも壬生の花曇り  古舘曹人 『現代歳時記』成星出版
 (おとといも きのうもみぶの はなぐもり) ▪ふるたち・そうじん

 句意は、京都の壬生寺で4月21日から29日まで行われる念仏の行事のことで、桜の満開の中で一昨日も昨日もずっと花曇りの中で壬生大念仏は行われましたよ、となろうか。
 
 壬生大念仏は、9日間かけて行われる行事で、その間には壬生狂言という、鰐口(わにぐち)、締太鼓、横笛だけの囃子で、能・狂言から影響を受けた筋を、身振りのみの無言の黙劇狂言が行われる。
 「をとといもきのふも」と平仮名にしたことで、9日間の全てに参加したかどうかはともかく、長い行事であることが伝わってきた。また「花曇り」からは、満開の桜もこの期間ずっと咲いていたように感じられた。
 
 古舘曹人(大正9年-平成22年)は、佐賀県出身。東京大学法学部卒。東大ホトトギス会に入会し山口青邨に師事、俳句雑誌「夏草」の編集をした。