第五百二十四夜 山崎秋穂の「一人静」の句

 平成4年に始まったという靖国神社の夜桜能へ、俳句を始めて数年目の私は、何年か続けて観に行った。
 平成6年、初めて観た夜桜能では〈篝火をまあるく越ゆる花吹雪〉〈青白きはなびらかかる緋の小袖〉と詠み、翌平成7年には〈拝殿の花冷え深きなかにをり〉と詠んでいた。さらに平成8年は、小雨から始まったが終に本降りとなり、中止になってしまった。
 
 平成10年4月9日の夜桜能の第1夜は、能「二人静」であった。「10年連用ダイアリー」にチケットの半券が挟んであったので、詳しく思い出すことができた。この日も雨であったが、演能の間は小止みであった。この日お誘いしてご一緒したのは、大学時代の友人のご主人の方、帰りには夫と日本酒を楽しんだ、とメモしてあった。
 シテは静御前の霊の梅若六郎と霊にとり憑かれた若菜摘みの梅若晋矢。梅若六郎は、がっしりした体格で、橋かがりから登場したときは、ちらっと愛妾静役なのにと思ったが、二人の相舞が始まると、すり足と足拍子のしずかな迫力に巻き込まれていくようであった。
 能「二人静」は、源義経との悲恋により、未だ霊魂が定まっていないことから弔いを願う一場面である。二人の長い「相舞」は、高浜虚子のいう極楽の文学を思わせる。舞うことによって長く続いた悩みは消え、弔いを済ませることが出来たに違いない。

 今日、ご紹介するのは花の「一人静」と「二人静」の2種類の可憐な白い花。「一人静」の由来は静御前であり、「二人静」の由来は能「二人静」の二つの霊の舞姿であるという。所沢の吟行句会で小流れ沿いの道で、名の由来を教えてもらった。
 
 今宵は、植物の季題「一人静」と「二人静」の作品をみてみよう。
 
  一人静風の奥処に棲みしかな  山崎秋穂 『新版 季寄せ』角川書店
 (ひとりしずか かぜのおくがに すみしかな) ▪やまざき・しゅうすい

 句意は、一人静の花は、風の吹く奥まった処に住んでいたのであろうか、となろう。
 
 上五の「一人静」は、花の名ではあるが、こう詠まれれば源義経の愛した静御前を思い出させる。吉野の山中に住んでいたとも言われ、まさに其処は「風の奥処」であったに違いない。一人静もまた林の奥処に咲く花である。
 
 「一人静」は春先、4枚の葉を突き抜けて、白いブラシ状のとても変わった花を1本咲かせるセンリョウ科の多年草。裸花で雌蕊1つと白い花糸3本あるだけである。花の名は、源義経が愛した「静御前(しずかごぜん)」という白拍子が1人で舞っている姿に見立てたことから。

  何事もなかりし二人静かな  後藤比奈夫 『蝸牛 新季寄せ』
 (なにごとも なかりし ふたりしずかかな) ▪ごとう・ひなお

 句意は、能「二人静」に登場する、静(しづか)の霊と霊に憑れた菜摘女(なつみめ)が、出合って、2人の舞があって、すうっと去ってゆく2人を連想するだけで、この作品を読み取ったことになるかもしれない。
 「何事もなかりし」から、2つの霊、静と菜摘女の2人を思うが、存在している人間が2人いるようでもあり、じつは2人とも霊という実態のないものである。それは舞台を観ていても不思議な感じなのであった。