第五百二十六夜 中村草田男の「そら豆の花」の句

 ドイツの詩人、小説家のゲーテの短い言葉を『ゲーテ格言集』から選んでみた。

 いつも同じ花ばかりなので、花よりほかの何かをお送りすることができたら、と思います。しかし、それは愛についてと同じことで、愛もまた単調なものです。
                 (シュタイン夫人へ、1779年5月23日)
 
 どんな季題の作品を紹介しようかと考えた。わが夫の作る畑の「豆の花」が浮かび、さらに大学の1年の頃とくに「スイートピー」が大好きだったことを思い出した。
 同じ部活で同じようにさぼっていた友人の、お姉さんは「小さな恋人」で大人気の漫画作家のトシコ・ムトーさん。漫画の中で、小さな恋人の大きなボーイフレンドはいつも花束を抱えて登場する。
 そんな花束に憧れていたが、まだ大学一年生になりたての私たちには、格好よく花束を差し出してくれる恋人はいなかった。
 彼女と私は、とにかく授業をさぼっては喫茶店でコーヒー1杯で何時間も喋っていた。ある日など、終にお腹が空いてサンドイッチとコーヒーを追加して、授業が終わる時間まで喋っていた。
 そして、隣の花屋に入って、スイートピーの大きなブーケを作ってもらって、交換をして、教室に入ることなく帰宅したことがあった。変でしょ! でも変ではなく、花束への憧れだったのだ。
 
 今宵は、「豆の花」「スイートピー」の作品を紹介してみよう。

  そら豆の花の黒き目数しれず  中村草田男 『長子』
 (そらまめの はなのくろきめ かずしれず)

 句意は、蚕豆(そらまめ)畑いっぱいにそら豆の花が咲いている。白い花はマメ科特有の蝶の羽をひろげた形で、白い花の真中の黒い模様は、畑いっぱいに「黒き目」がぎらぎらしているようでしたよ、となろうか。
 
 蚕豆畑をつぶさに見たのは、私が茨城県守谷市に越してからである。犬の散歩で通る畑道はちょうど蚕豆の花が咲いていた。豆の花の真ん中の黒目は初めてだったので、収穫まで毎日のように見ていた。そのうち畑のおばあさんとお話しるようになった。
 蚕豆がだんだん膨らんでゆく莢(さや)は、ピンと空を向いた。やがて、もっと膨らむと、莢は下向きになった。「そろそろ収穫ですよ」というおばあさんに「すこし分けてください」と、千円札を出すと、近くの家にもどると大きなビニール袋を持ってきて、袋いっぱいに入れてくれた。
 私の目はまん丸になった。スーパーで買うと、莢が5本入って300円ほど、その何十倍も頂いてしまった。さあ大変! 料理本やらテレビ番組やら、見ながら何種類も作った。東京の友だち夫婦を呼んで、小貝川沿いの福岡堰でピクニックした。大きな蚕豆が飛び出している炊き込みご飯のおにぎりが1番好評だった。
 
 掲句は、草田男の第1句集『長子』の「帰郷」28句中にある。

  スイートピー抱へてことばなくてよし  山上寿衣 『新版 俳句歳時記』雄山閣
 (スイートピー かかえてことば なくてよし)

 句意は、スイートピーを貰ったときであろうか。摘んだときであろうか。ほのかな甘い香りがし、今にも飛び立ちそうな蝶のように見える、葉がなくて花だけが溢れているようなスイートピーの束を抱えていると、もうそれだけで心は充分に満たされている。言葉はいらないわ、となろうか。
 
 今回、作者の山上寿衣さんのプロフィールを見つけ出すことができなかった。しかも漢字の名からは男性なのか女性なのかはっきりしなかった。だがそのために作品を紹介しないのはありえないと思った。スイートピーは1本にたくさんの花が付いていて、しかも細い茎だけで葉はないから、手にもつ部分は細く、蝶の形をした軽やかでまあるい花束は、心までも溢れそうなのだ。
 
 大学一年生の頃、女同士の友だけどスイートピーの花束は、やはり「抱へてことばなくてよし」であった。