第五百二十九夜 高浜虚子の「薔薇の門」の句

   花より花らしく     三岸節子
 
 種をまき、球根を植え、水を与え、肥料をほどこし、たえず見てまわり、1本の草でも丹念に取り去るのです。「なにがそんなに面白くて、1日中、草取りに夢中になるのだ」と息子が言います。「こうして草を取り、美しい花を咲かせようと、一生懸命愛情を育てているのだ」と答えております。(略)
 ただ、美しい花を、あるがままにうつしとるのでは、花のもつ不思議さも、生命も、画面に見出すことは困難でしょう。いかほど迫真の技術を駆使しえても、ほんものの、一茎の花に劣りましょう。
 花よりもよりいっそう花らしい、花の生命を生まなくては、花の実体をつかんで、画面に定着しなければ、花の作品は生まれません。
 つまり、私の描きたいと念願するところの花は、私じしんのみた、感じた、表現した、私の分身の花です。この花に永遠を封じこめたいのです。 
             エッセイ集『花より花らしく』筑摩書房より

 もう30年ほど前になるが、あるデパートの画廊で三岸節子展の会場にぶらりと入っていった。10号ほどの薔薇の赤が、わたしの心にストレートに飛び込んできた。この絵が欲しいと思った。価格は100万円とあった。いつだって資金繰りに悩んでいる小さな出版社の女房だもの、直ぐに買えるはずはない。だが、わたしの心は赤の強さを求めていたのだった。せめぎ合う心を落ち着かせるまで三岸節子の絵の前に1時間は佇んでいたと思う。
 
 今宵は、高浜虚子の薔薇の俳句を鑑賞してみよう。
 
  かりそめに人入らしめず薔薇の門  高浜虚子 『七百五十句』
 (かりそめに ひといらしめず ばらのもん)

 句意はこうであろう。通りがかった大きな邸は、厳めしい門構えではなく、蔓薔薇や大輪の薔薇に覆われている薔薇の門であった。昭和33年の頃になると戦後の復興も進み、住宅街に瀟洒な洋風の邸宅を見かけるようになっていた。
 手入れの行き届いた薔薇を咲かせている邸の住人はどんな人だろう。ちょうど薔薇の門を革の鞄を持った主人が出てきた。主人は軽く手をあげて家人へ挨拶している。この動作から察すると外国暮らしの長かった人、あるいは外国人かもしれない。

 虚子84歳、昭和33年5月26日の作である。
 星野立子編『虚子一日一句』によると、この日虚子一行は、川崎大師の本堂改築竣工を祝って訪れて遷座式に参列、千葉県鹿野山神野寺からは住職の山口笙堂も参加した。改築の間余所へ保管していたご本尊を新しい本堂へ戻す遷座式の後、松蟬の鳴くなかで句会が行われた。
 薔薇の時期であることから、「薔薇」は兼題の1つであったのだろう。当日の『句日記』の作品6句の内の3句が薔薇の句であった。3句目の〈鞄持ちちよつと手をあげて薔薇の門〉を、句意に入れてみた。

 虚子の薔薇の句に、〈薔薇呉れて聖書かしたる女かな〉(明治32年『五百句』)や、〈老侯のマスクをかけて薔薇に立つ〉(昭和16年『六百句』)や、〈己れ刺あること知りて花さうび〉(昭和21年『六百五十句』)があり、それぞれ、棘に護られている高貴な美しさゆえの近寄りがたさが象徴的に詠まれている。
 
 掲句では「薔薇の門」により、生活風習の異なる匂いのするモダンな邸の住人への憧れを感じることができ、さらに「かりそめに人入らしめず」により、薔薇の門は軽々しく近づけない重厚感と存在感を示す門構えとなった。